2024/01/05 喜怒哀楽がつまった一日でした。そりゃ昼寝もするわ。
今日は8時ころに起きた。先に言えば、今日偉かったのは昼寝をしていないことだ。さっそくいい兆候だ。眠たいのに昼寝をしなかったのは偉いことだ。一方これを書いている今日は昼寝をしてしまった・・・。ああだめだ。
起きてから、うんぬんかんぬんと家事をこなした。その後は今日の夜のネタを調整した。年明け一発目の漫才である。
18:30の会場入り時間であるから、練習の時間も含めて17:30くらいまでに会場近くにいられるようにしなければいけない。年末のライブでは今回のネタが失敗気味になったので、うまく改善できまいかとみてみるが、うーん。なんだろうなあ。この発想でやりたいんじゃがなあ。
田川くんは今回のネタについて、かなり文句を言いながら帰っていったので、なんとか改善したい。
と、ここらへんをこうでこうでといじってみた。
準備を終わらせて、ひとまず高円寺へ向かう。そうだ、今日のライブは高円寺スラバーノッカーである。
16時ころに準備が終わったので、田川くんへ台本を送って、私は17:30に間に合うように家を出る。田川くんへはこの時に初めて集合時間の目安が分かるので遅れるとか遅れないとかはない。
18時15分頃に彼がやってきた。少し話して、もう入り時間になってしまったのでネタ合わせは1度もできていない。うーん。思えば、このとき彼なりの信号を発していたのだろう。
会場に入って、点呼をして着替える。そこからネタ合わせをやる。1度通してみて、こんな感じだろう。悪くないかな。
そこから田川くんが暴れ始めた。「おもしろくなる自信がない。」「そもそもこのネタは面白くない。」「やりたくない。」
漫才は二人でやらなければ成立しないものだから、私の独りよがりになってもいけないから、改善点はこうすればいいんじゃないかと話すのだが、やっぱり納得はしなかったようだ。そこからは出番まで彼はだまりこくっていた。
いや、待って欲しい。これだけを見ると彼がめちゃくちゃ嫌なやつみたいだから、フォローも入れておきたい。いや、めちゃくちゃ嫌なやつなのは事実なのだが、まあわからんでもないというポイントを伝えておく。
これまで我々の漫才は私が台本にフリ、ボケ、ツッコミをすべて書いていた。ウケなければ基本的に私の責任である。
さんざん言われていることだが、漫才は誰もやっていないことをしなければいけない。これだけ漫才師であふれた現代では「上手さ」で上にあがっていくのは難しすぎる。であれば、自分達だからこそできる漫才というのが重要になる。
そのために今回、私は田川くんらしさを引き出すために台本がない部分を作っておいた。もちろん最終的には台本にしたい気持ちはあるが、彼が何もなくなったときに出てくる面白い部分を見つけるための一つの取り組みだ。私がすべて台本に書いていては見つけられないおもしろさを探したいのだ。
それが、年末のライブで台本の無い部分で失敗してしまったから、このネタはやりたくないのだろう。彼は自分に責任がある(あった)というのをとても嫌う性格だから、受け入れがたいのだろう。
皆さんが思っている数倍、自分に責任があるのを認めたがらない。横断歩道のない、車通りの少ない通りで、逆の歩道に移動するのも自分からは渡りたがらない。そんなのって別にいいじゃないか。細かく見れば法律違反なのかもしれないが、渡らなければ目的地には到着できないのだから、仕方がないことだ。それでも、やりたくないのだ。
そんな人が、自分次第でネタの出来不出来が決まるというのはあまりにプレッシャーであろう。
ということで、人生でほぼ初めて、「自分次第」から逃げられない状況に立たされてパニック状態なのだろう。なので私は別に「このネタは面白くない」と言われてイラつきはするが怒ったりはしない。
このおもしろくないネタはあなた次第で大爆笑に変わるのだから。向き合いなさいという気持ちだ。
こればかりは、今後なにかの拍子にお笑いができなくなったとして、それでも生きていかなければいけないなら、絶対に逃げられない。人生は自分次第の場面ばかりだ。
頑張ったけど結果が出なかった、そこから別の頑張り方を探す。今までの彼の生き方は、頑張って結果が出なければ恥ずかしいから誰かが言った道を行ってしまえば、失敗してもその言った人が嘘を言ったせいだからいいやと生きてきたのだろう。
ここで普通の大人の感覚を養ってもらえればそれは彼の人生がより良くなることにつながると思っている。
いい漫才につながるかはわからないけども。わからないんかい。
ここまでの内情を書いてしまえば、漫才が笑えなくなるよなんていう人もいるかもしれないが、別に1000万人からが読んでいるもんでもないので関係ないだろう。あと1億2000万人のお客様候補がいます!
ということで、皆さんは田川くんを応援してやってください。いま、人間レベルが小学生から中学生になろうとしていて、反抗期みたいなもんだ。そりゃ多少のヤンチャもするだろうよ。
と、あれだけ田川くんはもうこのネタはつまらない、やりたくないと言っていたが、お客様が暖かく、結局そこそこお笑いをいただいた。田川くんの機嫌は直っていた。よかったよかった。
ライブの中MCにて、アマレス兄弟の太郎さんと我々という異色の3人でしゃべった。太郎さんはラジオご出演の際に、ぜんぜん喋れないと言っていたのでどうしたものかと思っていた。でも太郎さんの人間の美しさはなんとなく見た目からも伝わってきているので、なんとかしたいなあと思っていた。
うまく大盛り上がりにはできなかった。。残念。
どんな人がやってきても面白くできる人は本当にあこがれる。ちょうどドロンズ石本さんが事務所のオーディションライブ時代に良くしてくださったものだから、私のあこがれはドロンズ石本さんである。
笑うか笑わないかはあなた次第。
ライブが終わってから、はまこテラ子のはまこさんが食事に誘ってくださったので駅前の四文屋に行った。
私としても面白いと思って作ったネタが面白くないと言われて多少のモヤモヤはあったので、ストレス発散にはちょうどいいや。私の良いところは(自分で言うのだ)田川くんの悪口は言わないところだ。
はまこさんとは平和な会話をして楽しんだ。
すると突然、やせぎすのあんちゃんが話かけてきた。お笑いファンかなと思いきや、ミーナの喜助さんであった。先輩芸人さんと食事を楽しんでいたそうな。おお、これはこれはすごい偶然だ。あいさつを済ませて、退店された。
はあ、会うもんですねえとはまこさんと話していると着信があって、喜助さんであった。こちらに合流してもいいかとのこと。これは楽しい偶然だからぜひとも合流しましょう。
3人になってからは、ま~~~~~~~すごい話だった。すごすぎてもう絶対にここには書けない。漫才協会についての笑いと笑いじゃないどぎつい話にまみれていた。たまたま我々はお笑いの人間だからゲラゲラ笑えるが、お笑いでなければどんびきである。もう書いてしまいたいなあ。
が、これはまあ、書かないでおこう。唯一かけることと言えば、はまこさんは「M性感」サービスを受けることに対しての情熱がすごいということだった。
一時期はまりすぎてお尻の穴が常に開いていたらしい。それがコロナ禍に入ってそういった濃厚接触サービスを受けることは難しくなったことで、結果お尻の穴が戻ってきたそうだ。
これで見逃してください。ということでなんとか0時半ころに帰宅した。
今日面白いと思ったことは「人生は嫌なことと向き合わないといけないときがある。あるというか、常に嫌なことしかないですよ。それとどう向き合うかが人間じゃあないですか。」