ルワンダにある3つの虐殺祈念館に行ってきました
ルワンダでは1994年、ルワンダジェノサイドと呼ばれるツチ族に対する虐殺が起きました。その虐殺を二度と起こさないよう後世に伝えていくために虐殺祈念館がルワンダ各地に存在します。都市部にあるものもあれば、都心から離れた場所(虐殺の現場となった場所)にもあります。今回は二日かけて三箇所に行ってきました。そちらに行っての感想や感じたことをまとめようと思います。少しでも興味を持っていただいて、知っていただければと思います。私も数ヶ月前は全く知らなかったので、私も全然詳しくないです。一緒に勉強していきましょう!行く前に歴史について軽くまとめた記事があるのでまずはこちらをどうぞ!
虐殺祈念館の館内は撮影禁止だったので、写真は少ないです。Google上では画像を見つけることができる(ガイドによって許可する場合もあるそう)ので気になった方はご覧になってください。
首都キガリ(Kigali)にある虐殺祈念館
ルワンダの首都、キガリにある虐殺祈念館はキガリに来た方だったらほとんどの方が訪れると思います。中心部から近いので、すぐ訪れることができます。ゆっくりめで見て二時間ほどです。
最初は数分間のムービーを見ます。ツチ族の生き残りの方のインタビュー映像で、ルワンダジェノサイドの三ヶ月の間の様子を生々しく語ってくれます。聞けば聞くほど、同じ人間だとは思えない異常状態だったことを知ることができます。
昨日まで仲良くしていた隣人が、なたやくわを持って襲いに来ます。子供だろうが女性だろうが、ツチ族だからという理由で殺害されます。道路に死体が転がっているのは普通の状態だったそうです。
ベルギーはルワンダの統治を簡単にするため、少数民族であったツチ族には、色が少し白く、鼻が高くヨーロッパ人に似ているからという理由だけで優遇します。
これによりフツ族の不満はベルギーではなく、ツチ族に向きルワンダが一丸となってベルギーに対抗することが起こりづらくなります。分断統治というやり方です。
白人が来るまでは、フツ族とツチ族の違いはなく仲良く暮らしていたそうです。
1994年ルワンダジェノサイドが起こるきっかけとなったと言われる事件が発生します。フツ族の出身だった大統領の乗った飛行機が何者かによって墜落させられます。
ツチ族の仕業ということにされ、フツ族によるツチ族への報復が始まることとなったのです。ラジオでもゴキブリであるツチ族を根絶やしにしろという放送も普通にされていました。
ツチ族の女性を長い間苦しめるために、HIVに感染したフツ族男性を使って強姦したという記述もありました。本当に恐ろしいです。
ニャマタ(Nyamata)にある虐殺祈念館
ニャマタというキガリから1.5時間ほどの場所にある祈念館にもいきました。
周辺のツチ族の住民がこの教会に立て篭もりましたが、50,000人が亡くなったと言われています。屋根には手榴弾の破片による無数の穴、所々に見られる銃痕、血の跡は恐ろしいです。
他にもルワンダの内情を海外に知らせようとしたイタリア人(Antoniaさん)の墓や、その説明が書いてあるパネルがあります。
ルワンダジェノサイド以前に、既にルワンダ国内でツチ族の殺害が始まっていて、それを目撃し、ツチ族をかくまい、その内情を世界に発信しようとしました。しかし、大統領警備隊に殺害されてしまいます。
映画のような話ですが、たった30年前の話ということに驚きです。
ムランビ(Mrambi)にある虐殺祈念館
こちらはムランビにある虐殺祈念館です。
飛行機のフライトが夜にあって、少し時間がなかったので車をチャーターしていきました。片道4時間かかり大変でしたが、見に行ってよかったです。
この虐殺祈念館は、ルワンダジェノサイド当時は学校で、45,000人のツチ族が殺害されたとされています。この学校は丘の上にあり、フランス軍が守ってくれると言われたくさんのツチ族が避難しましたが、結局フランス軍は守ってくれず、フツ族による虐殺の現場となってしまいました。
一番衝撃なのは、大量に保管されているミイラ化した死体です。保管されている部屋に入ると、嗅いだことのない香りを嗅ぐことになります。死臭です。
酸っぱいようななんとも言えない香りで、数日間ふとした時に思い出してしまうほど強烈な臭いでした。四部屋見ましたが、トータル1.5分くらい臭いを嗅いだだけで気持ち悪くなってしまいました。
外を歩いていても、風に乗って香りがして、かなりきつかったです。
敷地内を歩いていくと、犠牲者名簿の近くに不自然に凹んでいる箇所があります。芝は生えていますが、周りより一段低いエリアがあります。そこはもともと死体が埋まっていた場所で、掘り起こしたことでその分段差ができていました。
こちらもgoogleで調べると写真を見ることができます。
気になった方は、ぜひご覧になってください。人によって、閲覧注意です。
ルワンダジェノサイドの現場を見て
ルワンダに来るまで、ジェノサイドがあったことは知っていたものの、それがどのようにして起こったかまでは全く知りませんでした。アフリカに対しても、よく内戦したりしてるよねーくらいにしか関心がありませんでした。
いざ歴史について調べると、いかに西洋諸国がアフリカに対して酷いことをしてきたか、ぐちゃぐちゃにしてきたかを知ることができ、アフリカは一被害者であることを知ることとなります。
ジェノサイドが起きる前、犠牲となったツチ族も、ルワンダの独立を目指していました。それを目の敵にしたベルギーはツチ族の排除をし始めます。それがゆくゆくのルワンダジェノサイドにつながっていくわけです。
中国ではウイグルなどの民族の弾圧、香港でも同じようなことが起きています。ロシアとウクライナの戦争もそうですが、民族の弾圧や戦争は世界中の国々が協力して止めなければいけないと思います。
ルワンダジェノサイドの時は、どの国も止めようとしませんでした。この悲しい出来事を二度と起こさないように、お互いがうまく監視しあえるようになっていって欲しいです。