「~、みたいな」によるぼかし
以前、こんな記事を書きました。
関西人が、会話の最後につけて、責任を放棄する保険みたいなフレーズだと書いたのですが、最近、若者たちが使う、会話の最後の、取ってつけてような(ちょっと失礼な言い方ですが)「~、みたいな」も、よく似た機能を果たしているように思います。
「わかるよー、焼き肉の後は、冷麺だろ!みたいな」
「なんだかさー、これって、なんのため?みたいな」
「こっちの立場からいうと、誰がそれを片付けるんだ!みたいな」
どう見ても一度文は完結していて、その後に付け足し的についています。その点でも「知らんけど」と近いところはあるようです。
ただ、言い換えることはできませんので、まったく同じ働きではなさそうです。
「知らんけど」は、何らかの新情報を相手に渡しておいて、でもその真偽について責任は負いかねる、というような保険をかけています。
これに対して、「~みたいな」はちょっと違います。少し強めに自分の気持ち(強い主張だったり、非難だったり、怒りだったり)を相手に伝えた後で、少しぼかすというか、和らげるような働きをしているようです。
「みたいだ」は、「見たようだ→みたいだ→みたい」という形で変化してきていて、最近では連用形では「みたく」(キムタクみたくかっこいい人がいた)という形が定着しつつありますが、この文末の用法では、どうやら「みたいな感じ」の省略ということらしく、「みたい」では現れないようです。
まだ今は若者が使うあいまい表現、という位置づけのように思いますが、今後、文末表現として広く定着していくのでしょうか。
みなさんのまわりでは、このような「~みたいな」は使われていますか。
みなさんは使いますか。使う場合はどんな意識で使っていますか。
またお時間があれば教えてください。