私を形成するものーその1:本
これは、自分を形作っているものを振り返ってみようシリーズである。
1つ目に思いつくのは本。
一番最初に、出会ったのは小学生用の「漢字辞典」だった。正確には、ドラえもんの漢字辞典である。祖父と一緒に本屋さんにいって、「ドラえもんがあるからこれが欲しい」とねだったのを覚えている。
当時、幼稚園に行く前の年齢だったし、すごい教育一家でもないから漢字なんて読めるわけない。ただ、ドラえもんの4コマ漫画のなかで、漢字の生い立ちが紹介されていた。その4コマ漫画に惹かれて欲しかったのだ。ドラえもんの漫画がなかったら欲しいとは思わなかった。ほかにも、ドラえもんの漫画形式になっている、算数の本ものちに買ってもらった。
祖父はといえば、漢字辞典だったから買ってくれたとおもう。(こう考えれば、漫画系の教育本は大人にとっても、子供にとっても、Win-Winになっている。)その本で、祖父から漢字を教えてもらった。漢字の生い立ちの話も面白かった。そこから、ことわざや慣用句の成り立ち本にもハマったのは、のちの話である。
次に覚えている記憶は、母親に読んでもらった「おひさま」という絵本の月刊誌。毎号買ってもらっていた。なんでその雑誌を選んだのかは覚えていない。母親チョイスだったのかもしれない。話がおもしろいのと、イラストが好きだったのを覚えている。
他には「エルマーの冒険」シリーズとか「くりとぐら」のシリーズが好きで、何回も読んでもらった。あとは、「こまったさん」と「わかったさん」シリーズも好きで、同じクッキーを作りたかった。
小学校に入ると、卒業するまでの間で、図書室の本をほぼ全部読んだ気がする。伝記、虫や動物、花の図鑑も含めて。少し前に話題になった「はだしのゲン」の漫画も全巻読んだ。個人的な意見でいえば、あれは読んだ方がいいと思う。ああいうことが実際にあって、当時の市民たちがどういうふうに生きてきたか、ということを知るのと、知らないのとでは大違いだから。他人事として、考えないようになるだろう。
図鑑は結構おもしろかった。知らないことがいっぱい載っているからである。小学生の頃は、男の子たちと一緒に虫取りをして、バッタを虫かごで飼っていたから、虫の図鑑も気持ち悪いとか全く思わなかった。いま読むほうがキツいかもしれない。
ファンタジー系だと「クレヨン王国」シリーズや「ムーミン一家」シリーズを制覇した。
ドリトル先生のシリーズにもはまって、動物と話せるドリトル先生に憧れたり、10歳の頃にもれなくハリーポッターと出会ったり、手塚治虫の「火の鳥」に出会ったのも小学生の時だった。
中学生になってからは小説やエッセイにはしり、村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでいた。「こんな描写なくても、十分伝わるのになぁー」と思いながら読んでいた。
あとは、さくらももこや、よしもとばななの本をブックオフで集めたり。
小さいときから、なぜこんなに本を読んでいたのか。ひとつには、自分の現実逃避先だったと思う。それに、母親は本だけは(漫画は除く)買ってくれたから。
物心ついたときには、両親はそろってなくて、母方の祖父母に育てられていた。だから、自分にとって父親はいない。祖父母が父親代わりだった。
厳密にいえば両親は別居中だったわけだが、2歳や3歳の自分には、そんなことわからない。自分にとっては母方の実家で過ごした2年間くらいは楽しかったと思う。田舎だったから家も広かったし。
それなのに、自分の誕生日の日に引っ越しをして、父親と再び暮らすという。そのとき、どういう説明を受けたのかは知らない。そもそも説明もなかったかもしれない。ただ「引っ越し」=「遠くへお出かけ」で楽しかっただけだった。でも、のちに「この引っ越しをしなかったらよかったのに」と何百回思ったかわからない日々が始まる。
父親と再び暮らす、だけでなく、すぐあとに祖父母も同居するという、暮らしがスタートする。祖父母がそばにいるのは自分にとっていいことだったが、毎晩、父親・祖母・母親のバトルが繰り返されるし、父親が帰ってくるまでに食事やお風呂など全てを済まさないといけないという慌ただしいスケジュールだったりで、現実にうんざりだった。家のほうがストレスが溜まる生活が10年くらい続いた。
(「家族とは安らぎを与えるもの」みたいな定義が家庭科の教科書に載っていて、「現実的じゃない」と嫌いだったし腹立たしかった。学校も教科書も嫌いなのは、このせいもあるかもしれない。)
だから、本のなかの世界に現実逃避していた。そのおかげか、いつも国語は勉強しなくても、ある程度の成績は取れた。(代わりに、数学は最後の最後まで足をひっぱった・・・)
それに、想像力は豊かになったと思う。あくまでも絶対的評価に過ぎないが・・・。
あとは、いろんなことや考え方を知った。本の面白さは、自分の人生では経験できないことを疑似体験できるところだと思う。そういう意味で、自分の人生経験の肥やしになった。
人生、楽しいことばっかりではない。つらいことがあるから、楽しいことがわかるというのもある。そういうつらい時に、結果的に自分の為になることに現実逃避できてよかったと思う。
ま、ある意味でパンづくりや料理も現実逃避の1つだったかもしれない。この話はまたあとで。