チンギス紀 十七 天地 北方謙三 著 読書メモ
ずーっと楽しみに待っていたチンギス紀のついに最終巻。
あっという間。1巻のメモ登録が7/6なので4ヶ月弱。勿体ないのでゆっくり読んでたけど、やはり面白いので一瞬で終わってしまった。
岳飛伝の最後のあたりは実は記憶がおぼろげで、金国の北辺守備についていたコトジ(今作の玄翁)が金国の権力バランスの変化で北辺に駆け去ったことは覚えている。
中国史上でも珍しいくらい嫌われ、死後に降格されてる海陵王やらに確か楊令の遺児と密かに守られていたコトジだけど、残念ながら活躍の場は控えめだった。
金国はあっという間に宋や遼を真似て惰弱な官僚腐敗国家に落ちてしまい、強かった頃の面影は無くなっている。
宋末の梁山泊や童貫という気骨のある武人の生き様を受け継ぎ、さらに阿骨打を始めとする金国の北辺の武闘派民族の剽悍さ、遼の禁軍の精強さを全て受け継いだのが楊令だったと思う。
その文脈を北の地に移したのがコトジでそれを受け継いだのがテムジンという大水滸伝シリーズの繋がりになる。
梁山泊の流れを脈々と引き継いだ小梁山や岳都、轟交買(国境なき物流組織)は残っていて出てくるが、やはり武の側面だけはテムジンだけが受け継いだ。
テムジンは当初、個人の武としては言うほど強く無い。しかし、最後には部の達人たちを上回る感じになってる。
兵站に固執して、軍としての質を上げる事に徹底的に取り組み、少数精鋭で草原で台頭する。
最後まで数で圧倒する戦はせずに物語は終わった。
同時並行でオーディブルで復習してた水滸伝では兵法での駆け引きみたいなのが多かったけど、チンギス紀ではかなりそういうのは少なかった。どちらかというと、このシリーズでは一貫して支配領域の拡大の苦労や出会いが描かれ続けたと思った。
歴史上最大の偶然の領域を保有した大モンゴル帝国の創業期はそういったテーマを描くのに最適だったんだろうな。
そして、もうおそらく大水滸伝シリーズは終わりなんだろうと思う。
強いて言うなら残っているのはトルイからのフビライなんだろうけど。。南宋の滅亡と小梁山や岳都の絡みは見てみたいけど無いんだろうなぁ。
本当に楽しかった。これくらい熱中できる本にまた出会いたい。
狙いは宮城谷昌光さんの今描かれてるシリーズかなぁ。
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