生と死(解説編)
幸福論や幸福学なるものをよく見かける。
「幸せになりたい」と願う人々のニーズに応えているのだろう。
幸せになろうとすると幸せは逃げていき
幸せであることを知れば幸せがやってくる。
生きてるだけで丸儲け、
所謂「いまる」の境地に立てばいいわけだが、
「もっと幸せになりたい」という欲がどこからともなく
わいてきて、隣の芝生は青く見え、青い鳥を追っかけたくなる。
生きることの素晴らしさに焦点を当てるのではなく
生きることの苦しさに焦点を当てる。
超絶なるドM思考。
「四苦八苦」とお釈迦さんは言われたが、
生きることは苦しいことだと標準をそこに定めておけば
幸せに期待をしないので、今に失望もしない。
いつも突如やってくる幸せに心が満たされ続ける。
「落語とは業の肯定」と稀代の落語家は言われたが、
業という十字架を背負っていることが生の標準なので、
活き活きとした物語がそこに生まれるのだ。