学びたい日本人(解説編)
意欲があるのに、その意欲を抑え込む。
どこからともなく聞こえてくる声。
「私が我慢したらすむこと!」
「人に迷惑かけるぐらいだったら・・」
「どうせ、たいした結果にならんしね。。」
意欲を抑える「縛り声」
学ぶという本能が人には本来備わっているので、
「勉強しよう!」なんて鉢巻しめてがんばらなくても
自動的に学ぶのだが、その意欲は抑え込まれる。
算数の問題を解くのが、面白くなってきた!
キーンコーンカーンコーン
はい、算数はそこまで。次は国語。
この作者、ナニモンや、めちゃ知りたくなってきた!
キーンコーンカーンコーン
はい、国語はそこまで。次は音楽。
おっ、だんだんみんなで歌うのが楽しくなってきた!
キーンコーンカーンコーン
はい、音楽はそこまで。次は・・・
って感じで、強制的に高まった意欲を遮断される経験を重ね
縛り声で意欲を抑えることを学んだ。
カリキュラムと時間割は、基礎力をつけるにはいいかもしれないが
学習意欲にとって阻害要因。意欲を抑え込む訓練でしかない。
意欲とは自由で気まぐれでワガママなもの。
管理など本来できないのに、管理するから縛り声が生まれるのだ。
年とともに自由度をあげ、15歳になったら
カリキュラムや時間割から完全に解放させるのが自然なのに
その逆をしているのが日本。
そして、こんな結果になったのだ。(続きは日本人の取説で)