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軌跡13 ~負け犬の遠吠え~

誰しも1人1人
それぞれの歩いてきた軌跡や
それぞれのドラマがある。

これはクソだらけの私の軌跡のページ。

クソだらけの人生を歩くつもりは無かった。
だけど、いくつもの選択肢があった中選択し
自分が決めた道はほとんど全てクソ過ぎた。

ドキドキしながらも
Sの家にたどり着いた私。

インターホンを鳴らしたら
思いのほか、すんなり開けてくれた。

あの日麻疹にかかる前に出会った
怒りの顔はもうそこには無くて
1ヶ月半(2ヶ月かも)ぶりに見たSの家族は
私の娘を養子に迎えたことにより
どこか余裕を構えたような顔だった。

そんなSの家族に吐き気を覚えながらも
家に上がらせてもらった私は
真っ先に娘のそばへ駆けつけた。

娘の体にも赤い斑点が出来ていて
どうやら娘も麻疹にかかったみたいだった。

そんな娘に泣きながら抱きつこうとした。
愛しい娘にようやく会えた気持ちで
胸がいっぱいになったのを覚えている。

しかし残酷な事に
娘は私を忘れてしまったのか
抱きつこうとする私に泣き出してしまった。
そしてイヤイヤされてしまった。

その事に、とてつもないショックを覚えた。
娘なのに娘じゃない感覚にも似た感触・・・。

それでも私は言った。
娘を返して欲しいと。
親からのお金も親に返してほしいと。
近親相姦した家族に娘は渡せないと。

だけど知らないふりをされた。
証拠などどこにも無いと。
娘はもうこっちに慣れている。
そんな事など
色々な事を言われて
悔し涙しながら反論するしか出来なかった。

だけど、すぐ追いかけれなかったこと。
娘に僅かな時でも忘れ去られてしまったこと。
すでに養子縁組として手を打たれてしまったこと。

何を言っても負け犬の遠吠えのように感じた。

でもあとに引けなかった。
諦めてしまったらそこで終わりだと思った。

しかし、しばらくすると私の父が来た。
私の母から連絡を受けたみたいだ。

父は強引に私の手を掴み「帰るぞ」と。
抵抗したし泣きわめくしか出来なかった。

「お前には育てられない」と怒られた。

そしてビンタされた私。
熱く燃え上がる頬に手を当て
片方の手はそのまま父に掴まれ
車に乗せられて
私は実家へ送り届けられた。

移動中は「もう忘れろ」
「お前は耳が悪くて人より生きにくい
だから娘を育てるのは無理」
「諦めろ」
「まだ若いんだから修正がきく」
色々言われたけど、叩かれた頬にスリスリと
手を当てながら車の窓を眺めて
娘と遠ざかる距離に頬より心が痛くて
何も言えなかった。

そして「もうお前の娘じゃない」
「お前は産んだだけ。
もうあの子の親はSの父と母だ」と言われた時に
ぷつりと糸が切れて
泣きわめくしか出来なかった。

無痛分娩でもお腹を産んで痛めたのは私。
離れていても1日たりとも忘れた事は無かった。

私はボロ雑巾のように良いように使われ、
そして失った。最愛の娘を。

だけど、それは私だけでは無かった。
私の父も母もSの家族に良いように使われた。

だから、どれだけ辛くても
頬を叩かれても、どれだけ恨めしく思っても
この時の父を責めることは出来なかった・・・。

泣きわめいたり
静かになっては窓を眺めて
また泣きわめいたり
行き場の無い思いを抱えて繰り返していたら
「父さんと母さんも
お前の誕生日の後に離婚するから」と言う
最後の父の言葉に心がおかしくなりそうだった。

そうして、家に着いた。

この日から、相手の家に何度
電話をかけようとしただろう。
どれだけ心を痛めたかも分からない。

未だに押せない番号だけが
私の携帯の連絡先に残っているし
この時を今書いていても
涙がでるくらい辛いことしか言えない。

ただ言えるのは貧乏は害悪だと思った。
何も出来ない、ただそれだけしかなかった。
だから私は引き続き飲み屋で働いていた。
補聴器していても、お店は
賑やかで会話が成立しないこともある。
よくからかわれたりもした。
それでもガムシャラに働くしか出来なかった。

娘の事がずっと頭によぎって
悔しい思いもずっと頭によぎって。

考えもしなかった娘がいない生活。
押せない番号。会いに行く勇気が日に日に
積もって、あの日の娘の泣き顔。

自由だったけど寂しくて仕方なかった。
だからその寂しさを埋めるために仕事する。
そんな日々を過ごし、そして迎えた誕生日。


「お前ももう20歳になった。
お父さんはお母さんは本格的に離婚する」と
電話で話されたのを覚えている。

でもね

「私今日19になったばっか」

・・・・・・

父「(゚д゚)ハァ?」

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