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smappie
8月6日に
学校の授業の科目に平和学習があったり、音楽の授業で、『青い空は』とか『ヒロシマの有る国で』とか『戦争を知らない子供たち』とかヘビーローテーションで歌ったり、8月6日の8時15分には黙とうしたり、その日は登校日だったり、身近な当たり前が、県を超えるとそうでもなかったりする温度差が意外に分かっていません。
戦争はしてはいけないという当たり前は浸透していても、8月6日の特別感は多かれ少なかれ県外の人とはギャップがあるかもしれません。
戦争が終わって僕らは生まれたので、戦争を知りませんが、20代のころ、夜中に酒を飲みながら、ずっと原爆ドームを見ていたことがあって、建物自体に価値はないけど、そこに存在し続ける価値について考えていました。
今はずいぶん平和になったと思いますが、世界のどこかでは、いまだにドッカンドッカンやっています。
平和っぽいこの国でも失言したら集中攻撃されたり、不倫したら集中攻撃されたり、絶対取れるであろう金メダルをとれなかったら集中攻撃されたり、人の金メダルかじったら集中攻撃されたり、新たな脅威はいつも悲惨と隣り合わせです。
悪いことをした人とSNSで心無い書き込みをする一部の人間の戦争。
明日、明後日でなくなるものではないでしょうが、76回目の原爆の日に平和を願う。