グレートマザーが帰ってきた
ボートレース界で『グレートマザー』の異名を持つ日高逸子さんは、2020年前期に通算3度のフライングを切ってしまい150日間の出場停止処分を受けたため、最高ランクのA1級から最低のB2級へ降格してしまいました。
福岡で開催された昨年9月5日、無事に完走さえすればA1級は維持できるはずでした。
ボートレースは時計の針がくるっと回って、ちょうどゼロのところでスタートすればいいのですが、舟券を買ってくれたファンの期待に応えようと、勝負に徹した結果、この時100分の1秒だけ早くスタートを切ってしまいました。
150日の出場停止期間は無収入となり、B2級になるとA1級時代ほどいいレースをたくさん走ることもできなくなり、再びA級に復帰するのは至難の業です。
59歳の日高さんなら、引退という選択肢もあったはずです。
しかし、フライングで辞めるのはしゃくだし、大けがで引退する選手に比べたら大したことはない。
どん底からの再出発を決断しました。
日高さんは、高校を卒業後、いくつかの職を転々とするが、どれも合わず、ある日テレビで『ボートに乗って年収1000万円』というCMを目にします。
そこで倍率33倍の難関の試験に合格して、本栖湖で1年間の実習訓練を受けすのですが、成績も下位で、ボートのスピードの恐怖に耐えられず「辞めます」と言ったこともあったそうです。
そこから教官の励ましもあり、人の何倍もボートに乗ることで成績も上がり、1985年にデビュー。
2000勝以上もして、数々のタイトルも獲って、現役選手として女子では最年長になりました。
日高さんといえば、旦那さんの邦博さんのエピソードも印象的で、邦博さんが日高さんのことが好きすぎて、専門学校時代に8回くらい告白して、玉砕し続けました。
日高さんがボートレーサーになった後も、「結婚しよう」と言った時に、日高さんが、邦博さんに
邦博さんがマネージャーになって、選手も辞めない
日高の姓も変えたくない
本拠地の福岡も離れたくない
なら、と伝えたところ、邦博さんはすべて受け入れて、二人は結婚することになりました。
それから、日高さんは長女を出産して2か月半でレースに復帰。
ボートレーサーは月20日は家をあけるので、邦博さんは主夫となります。
ちなみに次女を出産した時も3か月で復帰。
夫婦二人三脚で現在に至っています。
そしてこのたび17日の鳴門で5か月ぶりのレース復帰でした。
準優勝戦で一番不利と言われる6コースから2着に入り優勝戦進出を決めました。
「どん底からはい上がるのも、逆転人生を歩んできた私らしさだと思う」
逆転人生、そう言う彼女には再びA級に上がってもらいたいし、自分自身も励みになります。