夢現の現夢(ゲーム)
ただ夢現で在った
すべての夢とすべての現が鬩ぎあい、空の相をしていた
夢は現に憧れ、現は夢に憧れた
夢が現を照らそうと「光」になれば、現も「光」になり、
現が夢を視ようと「闇」なれば、夢も現を視ようと「闇」となった
夢現は、現夢を始め、自身を知ることにした
弦のゆるみを少し変えて、音を発し、拡がりと流れを創った
夢が現の姿として「主」となり、拡がりと流れの起点となって、いくつも「界」を創造した
いくつもの創造主が生まれ、創造主の数だけ宇宙が創られた
宇宙遊戯 オリオンの残り香
宇宙の映し鏡「光と闇」の幻を払拭すべく、様々な鬩ぎあいが行われた
戦いは幾度となく、始まりと終わりを繰り返し、また、状況や様相を変えて繰り返された
宇宙は、この鬩ぎあいを通じて、彼を知ることにした
ひとつの鬩ぎあいの輪廻が終わると、積み残されたカルマを解消すべく、
宇宙生命群は「地球」という惑わす星を創った
その星は
或るものには「牢獄」であり
或るものには「狩場」であり
有るものには「贖罪」であり
有るものには「学校」であり
在るものには「実験」であり
在るものには「癒し」であり
あるものには「希望」であった
地の精からヒトが創られ「球」が混ぜり、
風の相にこの世の「真理」を写し込んだ
火を仰ぐ者に「鬩ぎあいの神話」が託され、
水で清める者に「鬩ぎあいの寓話」が預けられた
しばらくして、恣意的な球が受肉し、ヒトに混ざりだした
惑星にはあらゆる振波が集められ、壮大に美しい不協和音を奏でながら、宇宙のフラクタルとして創られた幾層もの世界で、幾度となく「光と闇」の鬩ぎあいが行われた
「光」に立てば、闇が観え「闇」に立てば光を観る
この輪廻を脱しないかぎり、光の黒白を悟ることはなく、この遊戯が終わることはなかった
重鳴り、消えていく振波もあれば、重鳴らず、より響き渡る音もあった
彼が不協和音に耐えらなくと、火に焼かれ、水に流され、地に還された
ヒトの見立て
もともと、ヒトは環境と不二であった
根源の顕現である「自然」であった
光と闇は混沌とし、不二の権現としてヒトが在った
星外者たちが、ヒトに「自」という意識を与え、
自と他に分け、光と闇を生んだ
「自」は然としてられなくなった
「自」は自然を観察し、「死」を見つけてしまい、「生」を見出した
「自」は自然への畏怖を抱き、「生」を豊かにし、「死」を回避するために、やがて自然への回帰をめざした
不二のころの「力」と「感」を取り戻すために
「自」は、自然の背後にある根源存在を感知し、その根源と繋がることによって回帰を目指した
まず、その根源に対して言霊による「名」づけをし、形や姿を創造、「神」いう概念を顕現化させた
その「神」という象徴を媒介として根源存在と繋がることを目指した
人は森羅事象に「神」を顕在化させ、根源の分霊を作り、神々に囲まれる自然崇拝の世界を創造した
手懐ける道と共に在る道
回帰への道は二手に分かれた
手懐ける道と共に在る道
手懐ける道は「力」の拡張であり、共に在る道は「感」の拡張であった
手懐ける道
手懐ける道とは、根源存在への働きかけとして、自然摂理を観察、分析、把握し、その「理」を応用して、現実変化、変容を起こすもので、自然の「力」を取り戻す道であった
「祈願」「祈祷」「降霊」などの精神変容を用いた技芸と
「占術」「降雨」「治癒」などの自然摂理を用いた技芸が生まれ、
自然への介入を試みた
精神変容を用いた技芸は、自らを器として神を降ろし、預言、神託を与えるシャーマンとなった
儀式では言葉は「自然」の声として集団は受け入れ、巫女、審神者は、集団を統治する存在となっていった
自然摂理を用いた技芸は、自然現象を観察、分析することにより見出した法則性を、用途に合わせて、活用し問題解決をはかった。各分野は、専門、細分化され医学、天文学、物理学などの学問となった
根源存在と繋がる媒介は「神」から「儀式」「儀式」から「道具」へと変わっていった。崇拝の対象も神そのものから、儀礼になり、偶像、祷詞、経典へと変わっていった。
結果「自」の力の拡張は「自」意識の強化に繋がり、中心を自然から「自」に移すことになった。自然よりも上位となり、宗教や思想、科学技術など、権威的存在が発展していった
手懐ける道の学術的発展の極はAIであり、精神変容の極は宗教となった
AIも宗教も共に人類を何度目かの終わりに導くには十分な「力」を持っていた
共に在る道
共に在る道とは、身体的修練、自己探求など用いて、「自」意識を明け渡す、若しくは消滅させることにより、根源存在との一体感を取り戻す道であった。
神秘主義、ヨガ、密教、行者などがこれにあたり、個人の悟り、三昧を目指すもので、集団では外界との境界線上にいる存在であり、グル、教育者的立場になっていった。
変性意識は、精神病との区別もつきにくく、また個人的体験であるため、客観的検証が難しく、しばし”インチキ”と揶揄されることが多々あるが、正常に接続した場合、根源との繋がりが強固であり、求心力、カリスマ性を持つことになる。
共に在る道の現存する力の極は天皇である
手懐ける道に
「闇」が宿れば、快適と効率の奴隷となり、
「光」が宿れば、快適で利便性にとんだ世界になる
共に歩む道に
「光」が宿れば、平行カリスマとなり、平和的円形コミュニティとなり、
「闇」が宿れば、垂直カリスマになり、ヒエラルキーが生まれ崩壊する