大学院を中退した話 大学院生編 その2
どうも、AKiRAです。
さて、とうとう大きな区切りにはいります。
その1はこちら。
相変わらず暗い話ですが、これくらいないと中退という道は選ばないでしょう。
よろしくお願いします。
初めての学会、そして助けは来ず。
年度末は傾向として学会が開かれることが多いです。
相変わらず「いじり」は続いていたはいましたが、
自分ではじめた研究テーマですし、何かしら業績がほしく申し込みました。
学会参加経験のある方はご存知かと思いますが、
事前に学会を運営する組織へ発表要旨を送る必要があります。
研究結果は正直芳しくはありませんでしたが、なんとかまとめてボスへチェックを依頼していました。
しかし、主にポスドクですが、私が不真面目に研究をしていると考えている方がいらっしゃって、どうもボスへ私が駄目な人間であると常々伝えていたようです。
駄目な人間というのは、研究ができないはできないというのもありますが、人として欠陥があるというニュアンスだったそうです。
それが原因かどうかはわかりませんが、先の発表要旨について、あまり取り合ってくれません。
そして要旨を送付する2時間前にようやくまともに見てくれました。
「こんな内容じゃ発表できないな」
いや、流石におかしいと。
定期的にチェックはお願いしていたのにそれを丸ごとひっくり返すようなことを、期限1時間足らずのときに普通言うでしょうか。
私は焦ってなんとか間に合うように修正をお願いしましたが、
「なぜお前に指図されなきゃならねーんだ」
と、一蹴されて、あえなく提出はできませんでした。
絶望感と恥ずかしさが私の全てとなり、その日は別大学の共同研究者の方に謝り倒して終わりました。
とはいえ、発表要旨がなくとも発表自体はできます。
できた傷は決して小さくはなかったですが、ポスターを作成し発表練習を開始しました。
卒研のときと同様に研究室メンバーにアドバイスをもらうようにしましたが、研究内容やポスターそのものへの批判のついでに、人格否定も忘れないのにはもう慣れてしまいました。
なんとか発表当日の朝にポスターを仕上げ、そのまま大学院から空港へ向かい現地入りしました。
なんやかんや厳しい批判を耐え抜いたのでポスターの出来はわりかしよく、発表時は多くの人に質問をいただくことができました。
こうして学会は終了し、また罵倒が続く研究室生活に戻りました。
しかし私も修士2年生となるので、就活に目を向ける必要がありました。
得られぬ就活への理解
私が就活をした年は、就活の時期が大きく後ろ倒しになる年でした。
とはいえ相変わらず新卒解禁日までのスケジュールは実質変わらず、長期戦になることは必至でした。
新卒時の就活については別記事でご紹介いたします。
つまり先の学会が年度末にあったわけですが、並行して就活もしていたわけです。
自分だけが大変だったとは思いませんが、精神的に追い込まれていたのは事実です。
とにかくその年の就活生は前例がない手探りの活動をせざるを得ず、研究との両立には苦労していた人も多かったはずです。
推薦をもらえたり公務員になったりする方は、そこまで就活の負担は大きくなかったらしく、研究室もといボスからの理解は得られやすかったようです。
しかし私のように民間への就職を希望していた方はかなり白い目で見られていたと思います。
ボスが考えるのは、学生の将来よりも研究室の功績でした。
そもそも院進するにあたって就活する旨はボスへ十分に伝えてたはずでした。
就活のために研究や輪読に参加できなくなることが増えます。
今年は就活スケジュールが大きくかわるので長期にわたる可能性があります。
研究結果が芳しくないことは事実でしたが、それ以前にこちらの相談にのってくれなかったり、ポスドクやドクターからアカハラをうけて実験に支障があったのも事実です。
こうして研究へのモチベーションは大きくさがり、自身の将来に直結する就活にリソースをさくようになりました。
終わりの初夏
就活が始まって3ヶ月以上。
地道に続けていたおかげか、それなりに順調でした。
経団連に所属していないメガベンチャーや外資系などからも内々定をもらい、あとは日系企業を残すのみとなりました。
日頃研究室で虐げられていた私にとってまともな社会人に多く触れられる機会はとても楽しかったです。
結果として、研究はおろそかになっていました。
私は苦しい研究室生活から逃れる口実が欲しかったのです。
そのせいか就活で苦しい思ったことはあまりありません。
就活が終わるまではちょっと研究の進捗はないな…と思い研究計画を修正しつつ最低限のラインを維持していました。
とはいえ、就活と研究で肉体的にも精神的にも疲れがたまり、休むこともままありました。
就活で研究室には来れず、体調を崩して大学院へは行けず。
その結果十分な準備は用意できず、論文紹介や研究進捗発表は、それはそれは悲惨なものでした。
これについては私にも責任はありますが、流石に論文紹介と人生を左右する就活を比べてしまうと、力の入れようはあきらかに偏ります。
ましてや、日頃から人の欠点を嘲笑うような風潮のある研究室では。
ある初夏の日のことです。
どうしても就活の関係上、東京へ行かなければならず、論文紹介の順番を変えてほしいと研究室の後輩にお願いしました。
もちろん2週間以上前にです。そもそも順番を変えるのは別段よくあることで当人同士が問題なければよしとされていました。
しかし、研究室の毒にすっかり侵されていたその後輩は、
私が順番を変えてほしいという旨を断り、なぜか全体メールで関係者に共有しました。
その後輩はボスやポスドクにいじられる私をみて立場が自分よりも低いと判断したのでしょう。
そしてそのメールに返す形でポスドクから返信がきました。
「お前はさんざん研究室へ迷惑かけていることを自覚していないのか?」
「お前は研究室に在籍させてもらっている立場だぞ」
「こんなことをするなら早く辞めてくれ」
メールを見てすこし思考がとまりました。
しばらくして様々な思考が巡り始めました。
なぜポスドクという立場の方に研究室をやめるかどうかを言われなければならないのか。
なぜボスはこの状況を静観しているのか。
なぜ私はここまで言われなければならないのか。
そして私のなかの何かが音を立てて崩れ落ちるのをハッキリと感じました。
翌日から私は二度と研究室へ足を運ばなくなりました。
中退編に続く。
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