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医者は論文か金かには生きてない

医師としての業績は論文だけだ。どんなに急患や重症患者を診てもなんの業績にもならない。
開業や起業をして経営者になり、美容などの自由診療に行って金を稼ぎハデな暮らしをする。

ソーシャルメディアに出てくるのは、こんなのばかりだから医師は権威と金が大好きみたいなイメージが形成される。

論文こそが評価される界隈というのもあるが、そこで生きている医師は中でもマイノリティだ。「大学」、「ハーバード」、「教授」、「ガイドライン作成委員」、「厚労省班会議」、「会長」などというとなんとも偉そうだし、権威があるように聞こえる。確かにその界隈ではそうなんだろう。

一方で、こうした学術的なキャリアに見切りをつけ、金もうけに走る医師もいる。自由診療や、投資、起業、経営などいろいろあり、検査や処方をたくさんし、少し怪しげな自称最先端の医療で中国人患者からお金を儲けることにも熱心だ。

どうしてもこういったようなものはスキャンダラスだし、人々の目を引くので、ソーシャルメディアやネットニュースで目にすることが多い。

しかし、約30万人いる日本の医師のうちで、論文か金かを目指して働いている医師は、私が見てきた限り5%もいない。つまりこれらを第一の目的として働いている医師は少数派だ。

もちろん、第一目的ではないものの業績のために論文もかくし、家庭や生活のためにある程度の金銭的な報酬やワークライフバランスを求めはする。

では、何を目指し、何を目的に、大多数の医師は働いているのか?

それは
「医師としての知識や技術で、人々の役に立つこと」である。

大多数の医師は、当たり前すぎてこうした会話もしなければ、そのことをソーシャルメディアに投稿することもない。同僚の医師にその喜びを改めて表出することもない。

・自分が執刀した患者が良くなった。
・計画した通りに、順調に周術期管理ができた。
・緊急事態に、臨機応変に対応でき患者の命が助かった。
・診断が難しい病気にやっと診断がつけられた。
・患者や家族とよく話し合い、患者と家族が望んだお見取りができた。
・自分の指導した医師が成長した。
・日常診療で疑問に思ったことを研究した論文が学術誌に載った。

多くの医師が日常の中で得ている報酬は、学術的な権威や金銭などではなく診療の中にある。

患者からの感謝の言葉など期待していない。
そもそも多くの患者は良くなれば病院には来ない。

外来診察の終わりには、「ありがとうございました」といただくことはあるが、これも感謝の言葉というよりは、退出前の儀式的な挨拶の言葉だと医師も理解している。

患者が良くなった様子を、自分で医学的な視点から判断して、1人で充実感を得る。

研修医や専攻医などの若い医師は、まだ給料以外の報酬を得ることが少ない。なので、論文のような学術的な業績、資格、金銭にばかり報酬を見出しがちだ。なぜなら、まだ、自分の医学的な知識や技術で、患者の命や健康に貢献できず、人々の役に立ったという実感を得る機会が少ないからだ。

中堅やベテランといわれる医師が、働き方改革の進んだ現在よりもずっとブラックな環境で長らく働いてきたのは、教授に逆らえなかったわけでも、医師を辞める勇気がなかったらわけでも、鈍感だったわけでもない。

権威やお金以外に、医師としてもっと根本的な喜びを感じているからである。

大多数の医師が普通に考えている意見というものは、かえってソーシャルメディアでは触れることが難しく、「医師やってらんねー」、「楽に稼ぐ」、「医師は底辺労働者」という偏った言葉ばかりが入ってくる。

もちろん、医師のやりがいが搾取されている状況は継続的に改善されていかねばならない問題であるが、これだけ情報が得られる社会で、医師がブラックな労働者環境だということなど、医学生になる前からわかっていたことだろう。

もし、研修医や専攻医からドロップアウトしそうな医師がいたら、少しペースを落としても良いが、医療で人の役に立つ喜びを感じれるようになるまで、もうちょっと一緒に医師を続けてくれたらと思う。




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