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【どこでも住めるとしたら】母と繋がる家

出身はどこか、と聞かれると回答に詰まる。
意外とそんな方は多いと思う。

私もそうだが、大抵の場合「生まれた場所」と「育った場所」が異なるので、どちらを答えるべきか一瞬悩むのだ。
私は九州で生まれて、物心つく前に関東に引っ越してきた。だから、本当に小さい頃は九州弁だったらしいのだが今は全く残ってない。少し残念。

関東と言っても洒落た都会ではなく、少し電車に乗れば地元と変わらぬ風景が広がるような場所だった。数世代にわたって住み続けている家も珍しくなく、地域の夏祭りで神輿を担ぐから高校を早退するなんて生徒も多かった。勝手な偏見かもしれないけど、なんとなく土地に長く居る家庭の子はみんな屈託が無くて、素直で明るい子が多かった気がする。顔見知りの地域の中で、町全体を家族だと感じて育ってきたような温かさがあった。

家族というものは、いつから生まれたんだろう。
私の家は高校から母子家族だ。色々あったけど、父親と別れてくれたことに感謝しているし、私は今後あの人と会うことは二度と無い。
温かい記憶もある。それでも、例えば地元育ちの子たちと話してる時に圧倒的な違いを感じる。棒グラフにすれば圧倒的に量が少ないし、円グラフにすれば圧倒的に楽しいエピソードの比率が小さかった。

母とは何度も喧嘩をした。きっと随分心配もさせた。私たちを育てるためにがむしゃらに生きていたし、当時から自分の人生を歩み出すこともあきらめない人だった。今思うと、離婚してからしばらくの間、あんなに嫌っていたのに、いざ家族の形が変わった時の私は不安でいっぱいだったのだな、と思う。私が母を守る、とか弟を守る、とかいう気持ちばかりあって、実際は家にも帰らず遊んでいた。帰る居場所の再構築が自分の中で出来なくて、それに悩んでる事にも無自覚だった。

今、私は関東に、母は実家の九州に戻っている。いつでも会える距離じゃなくなってから、私たちはすっかり喧嘩をしなくなった。たまに九州と関東を行き来しながら、昔馴染みの友人のように食事をして、街をぶらついて、色んな話をして、お互いの家へ帰る。私と母の家族の距離は今が適正範囲なんだと思う。普通の家のように「毎日一緒に居られる安心」は無いけど、「どこに居ても繋がれる安心」はある。

だから、どこでも住めるというのなら、場所はどこでも構わないから「母の元にすぐ行ける家」に住みたい。どこでもドアや、ハウルの動く城のように母と繋がる家。そして住む場所住む場所で、綺麗な桜が咲くところでも見つけて春には母を案内しよう。

#どこでも住めるとしたら

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