音のチカラを知って欲しい〜音ってスッゴいんだ!って思った体験談~
僕は映画、アニメ、特撮なんかの映像作品やゲーム開発界隈を漂流してきた。渡り歩いて来たなんてカッコいい感じじゃない。そんな中で何度か音の偉大さに震えた経験がある。今日はその中でも特にインパクトのあった出来事を話したい。
モバイルゲームなんかは移動中に遊んだりするのもあって消音モードで楽しむ人も多いだろう。でもそれはちょっと損していると思うのだ。
移動中でもどうせだったらイヤホン、ヘッドホンで音漏れしない程度にゲーム音楽、SEも楽しんで欲しい。
音をあなどるなかれ。
とにかく凄いんですよ音のチカラ。あえてチカラって書いちゃうくらい。
では、それを思い知らされた話しをして行きますね。
■音のチカラ:映像編
僕がまだ映像業界にいた頃、20年近く前になるか?
マンガ原作の実写化が集中する時期があった。最近のマンガ原作の映像作品は良作が多く羨ましい。
まだCGも長編実写作品で大々的に使えるほど日本映画界に浸透していなかった。マンガ原作ともなればフルCGキャラも多く必要になる。けど当時はまだ技術が追いついていなかった。
そんなCGとの付き合い方がおぼつかない時代の話し。
●壮絶な祭りの始まり
永井豪作品やタツノコプロ作品のアニメ原作など、正気なのか?という企画が続いた。
その中の一つに関わることになってしまい…関わるもんかと避け続けていたものの現場は壮絶なお祭り状態。他のプロジェクトの人間も駆り出されることになる。
公開も延期して追加の撮影も行われるっていう日本映画でも滅多にお目にかかれない異例の事態。よく言う「炎上」や「祭り」ってレベルじゃない。もう毎日が「三社祭」って感じでいつの間にか巻き添えを食らっていた。
三社祭的な激務はまだいい。
よくはないが仕事はやれば何とか進む。
●現場はお祭り、だけど静寂のラッシュ
それよりも何よりも一番辛かったのはラッシュだった。
ラッシュとは完成前の映画をまだ荒い編集の状態で観るもの。まだ色々精査されていないから尺も長いしテンポも悪い。CGカットも合成前の素材剥き出しだし…
しかもその「音無し」の無声映画を通しで観る。
もう拷問でしか無かった。静か過ぎるから寝るに寝れない。疲れてる中でこれはシンドい。
ラッシュの後、みんな心無しかゲッソリしてるように見えた。誰もほとんど言葉を発しなかった…確かに疲れもあるが、明らかにそれだけじゃない。
●観れる!観れるぞっ!
でもある日、ここに音楽とSEが入ってるではないか!
観れる!観れるぞっ!(ムスカっぽく)映画としてどうとかはもうこの際いいや…とにかく観れた。
音のチカラはスッゴい!
スゴいんじゃなくてスッゴいんだ!!
ラッシュの後のあのシーンとした空気は一変。
その時ばかりはザワザワした。
「音入ってやっと観れた!」「やっと頭入って来た!」
って声が聞こえた。
それ、監督にも聴こえてんぞ…なんて配慮もブッ飛ぶくらい皆のテンションが上がったのは確かだ。
当時は日本映画史上最悪とか色々話題になった作品ではある。そんな酷評してても実は好きで、そんな突っ込みどころ満載なの欲してたんだろ…って思うことにしている。
当時も仲間と10年後はカルトムービーってもてはやされるさとか言ってたもんだ。
その後、当時の偉い人達の実績からあの作品は消えてしまった。そういうのダサいなと思う。そんなんしてもクレジットにのった名前は消えない。
僕は自分の職務経歴書にもちゃんと載せてる。
何なら話しのネタで自慢することだってある。最近、アマプラでわざわざクレジットまで観てくれて僕の名前のとこ撮ったスクショをLineで送ってくれた友人もいる。
僕は関わることができて良かったと思うブッ飛んだ作品だ。
「ロッキー・ホラー・ショー」や「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」みたいに楽しめる日が来るさ。
■音のチカラ:ゲーム編
ゲームには本制作前にGOを出すか出さないか決めるためのプロトタイプが存在する。ここで製品に近い遊びの検証をして良さそうだったらバーティカルスライスやグリーンライトと呼ばれるものを作る。
ユーザーさんから見たら体験版みたいなものと考えれば分かりやすいかもしれない。開発費を出す人達向けの体験版みたいなもの。
これが製品クオリティーで楽しさが分かれば晴れて量産期間とも呼ぶ本開発に進む。本制作に入ってもマイルストーンを通過できなければ開発が途中で終わることもある。
海外パブリッシャーは特に契約遵守だから目標を達成できなければその瞬間、パツッと開発が終わる。
非常にシビアな世界だ。
そんなシビアな相手に向けてグリーンライトビルドを作っている時だった。
●何かが足りない
僕らは当時、日本でも開発事例が無いタイプの音楽ゲームを作っていた。グリーンライトの期限も迫り、やれることはやり切った感じだった。
でも何かが足りない…楽曲は専用の曲では無いがノリのいい曲。一通りの画面要素もあり一定のクオリティーはある。でもそういう問題じゃない。
何だ?なんか一味足りない。が、それが分からない。
まあまあ楽しいけどノリ切れないというか、やった感が薄い。やった感…やった感薄いってことはユーザーへのフィードバックが薄いってことじゃなかろうか?
それに気づいてギリギリでテコ入れが入る。
●ヒット音、ヒットエフェクトの見直し
僕らは曲を大事にするあまりフィードバックを抑えていた。どうもそれが裏目に出たのでは?という仮説を立てた。
そこで、マーカーを正しいタイミングで叩く音とエフェクトを修正した。小節や拍に対してチャートを作っているんだから耳障りなSEじゃなければ曲との一体感は出るはず。
音と微妙なタイミング、見た目を変えて再度開発メンバー全員集まってテストプレイ。もう深夜、日付けも変わってるし朝までコースの覚悟完了で集まった。緊張感が凄い。
テストプレイするQAの人がなんか可哀想。みんな集まっちゃったし…
プレイが始まってすぐ、みんな悟った。
●やった!「向こう側」行ったっ!!
修正は大成功!!
しかも遊んだ感覚のグレードが段違いになったのを見ている側でも分かる。
修正箇所は小さかったのに全体が底上げされてグリーンライトに値するものになった瞬間だった。
ゲーム開発で一般的な話しではないが、こういう瞬間を僕は
「向こう側」へ行く
と呼んでいる。
昔ちょっと流行った「ホームレス中学生」に米を噛み続けると「味の向こう側」に行けるっていう話しがあった。そこまで米は噛まないが感覚として似てるなと思って…
残念ながらゲーム開発してれば毎回必ず得られるものではない。寂しいけど来ない場合もある。
僕は過去に数回、この「向こう側」に行くのを感じたことがある。この時がゲーム業界に入って最初の感覚だった。
感覚の大小はあるが、自信を持って世に出せる手ごたえが来る瞬間。ただ確実に言えるのは、音が完璧に入ってないとダメってことだ。
音無しではどういうわけか「向こう側」へは行けないらしい。
書き忘れてたけど深夜に集まった開発スタッフは、経営陣も上機嫌になったのでタクシーで帰宅させて貰えたのでした。
■音の真価
実は、映像でも演劇、ゲームでも視覚では表現が難しい役割りを司っている。
それは「感情」を揺さぶる役割り。
感情ってストーリーや演出で作るものでしょ?って意見も正解。だけど音を利用しないと凄く難しい。
どんなに優秀な監督でも無音でいい作品を作れって言われたら困るはず。かなりコンセプチュアルになってしまいエンターテインメント性が低いものになりやすいと思う。
●音が無いと色々成り立たない
ホラーなんかは特に分かりやすい例。
いかにもなハリウッドホラーの脅かしもJホラーの音楽にも聴こえないようなムード作りも音がないと。
試しに音を消して観たら分かるはず。
緊張感もそう。ココぞってとこで無音にすることで絵の展開に注意を集中させたり。これはブレイクって呼ばれる手法。
あ、偉そうに言ってるけど実はコレ、受け売りの知識なのです…
このお話しは、さっきの音楽ゲームを作ってたサウンドの人が社内研修で教えてくれたこと。
またやっちまった!
そんなこんなで、余計な話しが膨らみまくり申し訳ありません!!また長くなってしまった。
お分かり頂けただろうか…
音にはスッゴいチカラがあるのだ。
だからコンテンツ作る者として、言いたい。
音はちゃんとOnで楽しんで欲しい!
ヘッドホンでもいい!
ちゃんと音と一緒に堪能しよう。
以上。
ここまで読んで頂きありがとうございましたー
〜おしまい〜
・おまけ
最後まで読んでくれた人におまけ。
最初にお話しした映画はコチラです。
アマプラのリンクが貼れなかったのでDVDですが…