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蓼食う虫も好き好き

私はクセのある野菜や葉物が嫌いです。
ゴーヤ、紫蘇、パクチー、クレソン、春菊、などなど。

こういったものが嫌いだ、と言うと「その苦みがいいんじゃん!」とか言う人がよくいます。そんな時、決まって思うのです、タイトルの虫と一緒だ。お前の方こそおかしいぞ!、ほうれん草や小松菜の方がクセが無くてどんなにか美味しいことか。

これって、食べ物に限ったことではないですよね。例えば「音楽」なんかの芸術もそう。っていうか芸術って趣味嗜好の塊ですよね、だから古今東西、数多の芸術家が存在している、いや、できるのだと思います。これが、みんなほうれん草しか食べなくなったら、春菊の存在意義はないですもんね。

#拘りと偏見の音楽 も今回で第6回目。しかも大晦日ということなので、ひとまず最終回ということにしたいと思います。今回は私にとってのクラシックの演奏家の「蓼」。

レナード・バーンスタイン
小澤征爾
グレン・グールド
中村紘子
ヨーヨー・マ


逆に、何度たべても「おいしい」もの。

ヘルベルト・フォン・カラヤン
クラウディオ・アバド
内田光子
前橋汀子
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

一応、対比ができるような演奏家を選んだつもりですが、わかる方にはわかりますよね、私がどういうタイプの演奏が嫌いか。再び食べ物に例えると、誇張した味付けをする、(作曲家が意図しないような)創作料理を作ってしまう、せっかくの素材を台無しにしてしまう。

私は寿司屋に入ったんだから美味しい寿司が食べたいのに、なんだかイタリアンなオリーブオイル漬け海鮮ちらしを食べる羽目になってしまった感じがする演奏、、、です。余計にわかりにくいですかね。

もちろんこれは趣味嗜好の問題であって、演奏のレヴェル(上手い下手)とは全く関係がありません。違う言い方をすると、「上手いのに嫌いな演奏」も存在するし、「下手なのに好きな演奏」も存在します。なので、まさに「好き好き」なのです。

なぜ、このような記事を書いているかというと、これこそがクラシック音楽を聴く醍醐味だと思うからです。作曲家が可能な限りを表現している楽譜ですが、そこに記されているのは音の高さ、音の長さ、曲のテンポの超基本的ファクター。あとは強弱記号や発想記号があるくらい。だからこそ、演奏家によって「同じ曲?」と思うような演奏も生まれるのです。なので、ちょっと偉そうですが、演奏家の「好き好き」がでてくるようになってようやく「一人前」なのではないかと思うのです。(一人前とは何ぞや?)

最近、私にとっての苦い葉っぱ系の指揮者が活躍しています。旧共産圏の劇場の総監督で、時に「つまようじ」を持って震えるような指揮をするあの人です。まあ、活躍しているのだから好きな人の方が多いのでしょうけれども...

最後に私の好きなJ・S・バッハの鍵盤音楽を。普通、このような演奏をするとピアノの先生に怒られます。「ガヴォット」なんてさながらベートーヴェンのピアノ・ソナタの様相を呈しています。なので決して王道ではないのです、間違いなく蓼的演奏です。でも、時々聴きたくなるんです。こういう演奏があっても良いのではないか、と。

https://youtu.be/PZu03XbD4Po

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