島のインじぃ言いたい砲台7 〜続 小島砲台 in しまなみ海道〜 2023.5.20
小島北部砲台へ
道中あちこちにやたら土を掘り返した跡があり、イノシシが相当繁殖しているようです。日中は大丈夫と思いますが、職務上イノシシのいそうな所によく行くので、イノシシ対策としてカバンに鈴を付けて歩いてます。
口径9cm速射カノン砲(9SK)砲台
船着き場から一番遠いのが北部砲台で、小一時間ほど歩いたでしょうか?まず9SKの砲台が見えてきました。
9SK右砲座はスロープを降りた所に砲側庫があるから違和感はありませんが、左砲座は砲側庫と反対方向にスロープで降りていくので、なんでわざわざ遠回りにスロープを設置したのか?答えはわかりませんが、シンメトリーにこだわる設計者だったんでしょうか?
砲側庫の内部構造はドーム型(言いたい砲台6参照)です。
1砲座の砲床数
9SK砲座は大砲を設置する半円形の突出部が2つある(2砲床)で、舞鶴要塞の15Kと12Kの砲座もこのような形になっていました。15K以下の砲台は1砲座2砲床、21K以上の砲台は1砲座1砲床が標準的なようです。榴弾砲は1砲座2砲床です。
口径24cmカノン砲(24K)砲座
24K砲座との間に、掩蔽部(言いたい砲台2参照)と発電所があるんですが、草が上から覆いかぶさってジャングルの廃墟みたいになってます。足元も悪いので中に入るのは遠慮させてもらいました😓
24K砲座の奥の方は荒れ気味ですが、手前2つはなんとか見れる状態です。つきあたりの掩蔽部は半分埋まりかけています。
24K砲座の一部が荒れてる理由は他にもあるようです。中部砲台で知り合った歴史ボランティアの方の説明によると…
大正から昭和にかけて、戦闘機の時代に入ると砲台は役をなさなくなり、小島砲台も廃止されることになりました。当時の波止浜町長はこの戦争遺跡を後世に残すため、払い下げ運動を展開し、その結果、砲台を空爆の標的として演習を行うことを条件に払い下げが実行されたそうです。
冒頭は渡し船の待合場所にかざってあった北部砲台の写真ですが、横墻が空爆で飛び散っているんでしょうか?払い下げ当時はカノン砲が残っていたようです。
それからおよそ百年が経過し、歴史ボランティアの方が渡し船で渡ってきて、地道に草抜きの作業を行っていました。百年の時を越えて先人の思いを引き継ぐ人がいるって、何とすばらしいことではないでしょうか!
南部砲台とその他の要塞施設の報告がまだなので、もう一回やります。