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島のインじぃ言いたい砲台5 〜浦入砲台 in Maizuru〜  2023.5.3

Road of Uranyu

 金岬砲台への軍道は歩きやすかった。浦入砲台は火力発電所の横にあるんですが、その建設の際に砲台が大分壊されて門や軍道も無くなっています。なので適当な所から山に分け入って、尾根筋目指して登っていくしかないです。道無き道ですが、竹林で下生えが少ないのがせめてもの救いです。
(以下、不明用語は言いたい砲台②を参照)

舞鶴湾の入り口
右火力発電所奥の山、海から上がっていく最初のピーク上に浦入砲台があり、金岬砲台(シリーズ③④)と海を挟んで向かい合う。

 息を切らしながら急登を10分ほど登ったでしょうか?いきなり12SK(口径12cm速射カノン砲)砲座正面にでました。

砲座正面から

 上から見た平面形は半円形の突出部が2つ付いており、前回の金岬砲台の15K砲座と同じ形です。違いは金岬がぐるりレンガ積みだったのに対し、ここは前壁がレンガ積みで横壁が石積みでした。

砲座背後から

 砲座右の横墻地下に階段で降りるようになっていて、例によって薄気味悪い地下壕が3つ並んでいます。(冒頭写真)
 真ん中の部屋の天井にはコウモリがぶらさがってました。お休みのところ、おじゃましてすいませんです、ハイ(^_^;)

真ん中の地下室

 砲台必読書、浄法寺朝美『日本築城史ー近代の沿岸築城と要塞ー』(原書房1971)には浦入砲台の詳しい図面が載っており、3連地下壕左端(下図a)が「弾薬補給庫」、真ん中(b)が「材料庫」、右端(c)が「掩蔽部えんぺいぶ」とされています。

浄法寺朝美『日本築城史』p213 火力発電所建設前は左翼の砲座とe〜hが残っていたようです。

 下の図面を見ると、左端は右2部屋よりひと回り規模が小さいことがわかります。

浄法寺朝美『日本築城史』p214

 細かい違いをもう一つ見つけました。金岬砲台の砲側庫では、入り口横の下部にスリットが入っており、棲息部は入り口上部に通気孔が空いていました。ここも左端部屋だけがスリット、右の2室は入り口上部に通気孔があったので、左端の部屋を砲側庫、右2つを掩蔽部としておきたいと思います。

左端砲側庫
右端掩蔽部
砲側庫入口横のスリット

 見えないものにビビりながらも、真面目に考古学をやってるインディとしては、見るべきものはちゃんと見れたと思います。では即時撤退。スリットが何なのかは宿題です。(誰か知ってたら教えてください。)では次のHo〜dying。

インディのちょっと寄り道

 こちらは大好物の縄文時代です。火力発電所建設前の発掘調査と思いますが、浦入遺跡からは縄文時代前期後半の丸木舟が出土しており、エル・マールまいづるという近くの関西電力PR施設に展示されてます。砲台ができるはるか昔、舞鶴港が平和だった時代の貿易船です。

浦入遺跡の丸木舟
火力発電所のジオラマ;手前の山に浦入砲台がある

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