島のインじぃ言いたい砲台35 〜佐田岬・関崎砲台 in 豊予要塞〜 2023.6.29
佐田岬砲台
瀬戸内海に敵船を侵入させないためには、下関要塞のある関門海峡だけでなく、南からの侵入口となる豊予海峡も封鎖する必要があります。そこで海峡に突き出た愛媛県の佐田岬半島や大分県の佐賀関半島などに砲台が作られ、豊予要塞が整備されました。
まず訪れたのは佐田岬の先端にある洞窟式砲台です。これまでの砲台は天井の無い露天砲台でしたが、ここは天井がある砲台、穹窖砲台と分類できます。
昭和20年整備されたとあるので、つまり終戦の年です。第一次世界大戦後は戦闘機の時代になり、上からの攻撃に備えるために、天井をもつ必要がありました。
岩盤をくり抜いて、海峡側の開口部に2つの砲座を作っています。
写真の手前の砲座には、大砲のレプリカが復元されていますが、訪問時は修理中でした。風雨が吹き込み放題なので、維持管理が大変そうです^^;ご苦労様です。
修理中の大砲は前後逆に置いてあります。ネットで「佐田岬砲台」と入れて、復元時の写真を見てください。車輪を前方にある円形の回転台に載せて、後ろに伸びた鉄の尻尾みたいな部分を左右に動かして、角度が決まったら扇状の溝に固定する仕組みになっています。
以前、観音崎第4砲台(言いたい砲台29)で、前心軸の大砲について述べましたが、理屈は同じです。後ろを動かした方が、大砲先端の左右の小さな動きで角度を大きく調整できます。穹窖のような開口部が狭い場所では、これは非常に大きなメリットになります。
隣の砲座は開口部(射撃口)の外に出れるようになっています。
迷彩柄にペイントされてます。あと右の方の鱗状の仕上げを見てください。これもコンクリートを目立ちにくくするための偽装だそうです。
岬先端から戻っていくと探照灯格納庫と司令部ほかの建物があります。
移動式で、格納庫から出して、環状路を回ると書かれています。
⑦の地図で格納庫が2ヶ所になっています。⑧が地図右で⑨が地図左です。
Wikipediaに司令部・病院・官舎と書いてありました。今はキャンプ場の倉庫だそうです。
関崎砲台
佐田岬から九四フェリーに乗って、大分県の佐賀関に向かいます。
佐賀関半島先端の関崎砲台は、大正10年起工・大正13年竣工、口径12cmカノン砲2門を配置しました。ここも穹窖砲台です。
開口部(射撃口)は四角形ですが、中に入ると天井はアーチ状になっています。
2砲座が並んでおり、口径12cmカノン砲を1門ずつ設置したようです。
隣の穹窖の開口部(射撃口)には迷彩が残っていました。
佐賀関といえば、関サバ関アジです。アジのフライと大分の郷土料理りゅうきゅう丼(いわゆる漬け丼)で、アジを堪能しました😋