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島のインじぃ言いたい砲台24 〜古城山・火の山砲台 in 下関要塞〜 2023.6.30〜7.1
関門海峡と下関要塞
源平合戦のクライマックスとなる壇ノ浦、幕末には長州藩が台場を築き外国船を砲撃したことで下関戦争が勃発する。関門海峡が最も狭く、潮流が早くなる早鞆瀬戸、幾度となく我が国の歴史の流れが変わった要衝です。
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(下関市立歴史博物館)
そしてこの早鞆瀬戸と大瀬戸(前回23参照)は、下関要塞の砲台が集中する2大地区です。下関砲台と対馬要塞は東京湾要塞に次ぐ長い歴史があり、それは中国から日本へ侵略を進めようとする欧米列強の直接の脅威に備えるためでした。
古城山堡塁
早鞆瀬戸の九州側には、明治23年竣工(完成し)、口径24㎝臼砲(24M)10門を備える古城山砲台、明治28年竣工し、24㎝カノン砲(24K)2門を備える門司砲台がありましたが、ともに公園整備で消滅し、古城山砲台に隣接する古城山堡塁が残るのみです。
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火の山第2砲台
本州側には、下関要塞最大規模の火ノ山第1〜4砲台が明治24年に竣工(完成)します。
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ここも公園化の影響で、第1砲台(口径28㎝榴弾砲4門を配備)は現在見ることはできませんが、第2<第3<第4の順番に良く残っています。
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第2砲台は第1砲台と同じく口径28㎝榴弾砲(28H)4門を配備し、砲座は消滅していますが、砲側弾薬庫が残っており、フランス積みで積んだレンガ壁がめずらしい👀
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フランス積みからイギリス積みへ
フランス積みは以前、広島湾要塞の三高山堡塁の塀で見ました。(言いたい砲台14)ただしあの塀はレンガの長辺1枚分の幅(20㎝強)なので、一段を縦横に順番に並べていったらいいだけで、計算も手間も必要ありません。
ところが長辺✕1.5以上の幅になると、半端なレンガを多く必要とするフランス積みは、イギリス積みより手間がかかるようになります。砲側庫の壁は1m強ほどの幅があるので、かなりややこしいと思います。
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明治のはじめにまずフランス積みが入り、その後入ってきた能率の良いイギリス積みに押されて次第に無くなっていきます。第3号砲側庫のフランス積みは前時代の技術の名残と考えられます。
三高山堡塁の竣工は明治30年代で隣接する掩蔽部はイギリス積みなので、塀のみ前時代の影響とは考えにくい。幅の薄い施設なら技術も要らず、付属的な施設ならば職人の気まぐれ?も許されただろうと思うのです。
火の山第3砲台
第3砲台は口径24㎝カノン砲(24K)8門を配備し、④の見取り図では4砲座なので、1砲座に2門並んでいたことになります。
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口径24㎝というカノン砲のサイズを考えると、1砲座2門の配置は極めて例外的です。これまで見てきた中では、15K以下は2門1砲座、それ以上の口径なら1門1砲座でした。(言いたい砲台7参照)
前面の防御壁もこれまで見たことない感じです。
初期砲台にこのような例外的な構造物があるのは、明確な基準・規格がまだ整っていなかったことに原因があるようです。(言いたい砲台23を参照)
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第3砲台の砲側庫は改変されて元の形がわかりにくいです。第5号?砲側庫は入口が壊されてるものの奥壁は残っており、第6・7号?よりオリジナルに近いと思うがどうなんでしょうか?
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第6・7号?砲側庫は入口も奥壁もぶった切られており、昨日の線状降水帯の影響で水没中です。
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火の山第4砲台はよく残っていて長くなるんで、次回に。Let's Ho~dying on.
今日の長州ごはん
どーでも良いと思うが、昼ごはんは長州名物瓦そばにしました。瓦の上で焼いた茶そばをつけ汁でいただく、豪快かつ上品なイッピンです。ごちそうさんでした😋
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