クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #19~エミー・ベッテンドルフ シューマン『女の愛と生涯』
エミー・ベッテンドルフ(Emmy Bettendorf , ドイツ・1895年7月16日 – 1963年10月20日)というソプラノ歌手をご存じだろうか?
この「note」で度々登場するロッテ・レーマン、そして彼女と同い年のエリーザベト・シューマン、この20世紀前半のドイツを代表する2大ソプラノはともに1888年生まれ。その7歳年下、しかもベルリンで活躍していたという点でも、2人と同じ空気を吸って活動していたソプラノ、と言っていいだろう。
エミー・ベッテンドルフ
フランクフルト出身のベッテンドルフは14歳の時、フランクフルト歌劇場(現音楽監督は、読売日本交響楽団常任指揮者でもあるセバスティアン・ヴァイグレ)でデビュー。 1914年、19歳でこのオペラ・ハウスと2年間のソリスト契約を結んだ。
その後、ドイツ・オペラの殿堂、1920年、べルリン国立歌劇場(リンデン・オーパー)と契約、当時音楽総監督であったレオ・ブッヒが辞任、音楽総監督空位が2シーズンばかりあり、1923年にその任についたのがエーリヒ・クライバーだった。
ベッテンドルフは1924年までリンデンに籍を置いていたので、当然クライバーの下でもステージに上がったことだろう。
その後、ベッテンドルフはベルリン市立オペラ(現ベルリン・ドイツ・オペラ)に移籍、ここでは25年から音楽監督を務めていたブルーノ・ヴァルターの下で活躍したことになる。
ここに一つの記録がある。
1925年10月26日 ベルリン市立オペラ
リヒャルト・シュトラウス作曲 歌劇『ナクソス島のアリアドネ』
(出演)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
マリア・イヴォーギン(ソプラノ)
エミー・ベッテンドルフ(ソプラノ) 他
(指揮)
ブルーノ・ヴァルター
キャストは記されていないが、レーマンがソリスト(アリアドネ)、イヴォ―ギュンがツェルビネッタ、ベッテンドルフが作曲家であったことは想像に難くない。
妄想するだけでご飯が何杯も食べられそう・・・。
引退
しかし、病気がちだったベッテンドルフは、1928年にオペラから引退、その後は、リサイタル、レコーディングに専念したが、それも1934年には終わり、現役を引退した。
ちょうど20年の歌手人生だった。
一時は生活にも困窮し、ステージにも復活したこともあったベッテンドルフ。
しかし戦後、ベルリン(シュテルン)音楽院(現ベルリン芸術大学)で教鞭をとり、1952年までその任にあった。
晩年は孤独に過ごすこととなり、1963年10月20日、ベルリンで亡くなった。享年68歳。
レコーディング
というわけで、レーマンやシューマンよりも若かったベッテンドルフだが、その歌手人生は2人よりも短かった。
幸いオペラから身を引いた後、Parlophneに比較的多くの録音を残している。
それらは彼女のホーム、ベルリン国立歌劇場の管弦楽団(ベルリン・シュターツカペレ)をバックに吹き込んだものが多い。
因みに彼女の実演でのレパートリーはこんな感じである。
ヴェルディ「仮面舞踏会」(アメリア)、「ドン・カルロ」(エリザベッタ)、「イルトロヴァトーレ」(レオノーラ)
プッチーニ「トスカ」(トスカ)
モーツァルト「フィガロの結婚」(伯爵夫人)、ドン・ジョヴァンニ(ドン・アンナ)
ウェーバー「魔弾の射手」(アガーテ)
ワーグナー「ニーベルンゲンの指輪」(ブリュンヒルデ)、「ニュルンベルクのマイスターシンガー」(エヴァ)、「さまよえるオランダ人」(ゼンタ)、「タンホイザー」(エリーザベト)
R.シュトラウス「ばらの騎士」(元帥婦人)
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」(サントゥザ)
しかし、残された録音はオペラ・アリアや愛唱歌的なものが多く、リート作品はこれといったものがない。
モーツァルト、シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフ、マーラー、R.シュトラウス・・・、ドイツ・リートの本流を、ベッテンドルフの歌で聴いてみたかったものだ。
『女の愛と生涯』
そんな中、例外的にロベルト・シューマンの代表作『女の愛と生涯 -Frauenliebe und Leben-』作品42の録音が残されている。
ピアノ伴奏は、ベルリン国立歌劇場でマックス・フォン・シリングス、エーリヒ・クライバー両音楽総監督の下で活躍し、Parlophneのハウス・コンダクターとして数多い歌手のバックをつとめ、膨大なレコーディングを行ったフリーダ―・ヴァイスマン。
8曲からなる連作歌曲で、将来の伴侶となる男性との出会いから、その夫と死別するまでを描いた歌曲集。
この曲集を歌う歌手を、私はよく、一人の女優が20代そこそこから亡くなるまでを一人で演じる「大河ドラマ」の主演女優に喩える。主演女優はその表現の限りを尽くし、女の一生を演じるのだ。
私の世代ならば、それは『春日局』の大原麗子、お若い世代ならば『 篤姫』の宮﨑あおい、か。
ただし、理由は定かではないが、ベッテンドルフ盤は8曲中、第5曲『Helft mir, ihr Schwestern (手伝って、妹たち)、第7曲『An meinem Herzen, an meiner Brust (わたしの心に、わたしの胸に-はじめて子をもうけた母の情愛を歌う)』の2曲が欠けている。
当時のカタログを見ても、78rpm3枚(片面×3枚で6曲)でリリース、Parlophneオリジナル盤の品番はE.10606~10608。前後のE.10605、E.10609は全く別のアーティストのレコードである。
2曲は最初から録音されなかったのか、もしくは録音されたが、何らかの理由で商品化に至らなかったのだろうか?
レコーディング・データも明らかではない。
ただ、レコーディング・データ、もしくはリリース・データが残されている前後周辺品番の78rpmから推測するに、1930年よりも前、1928年から29年頃に録音されたものと思われる。
彼女がオペラから身を引き、リサイタル、レコーディングに専念し始めた頃のものだろう。
【ターンテーブル動画】
私の手元にはあるのはParlophoneの日本ライセンス盤。
残念ながら最終第6面、つまり『Nun hast du mir den ersten Schmerz getan (今、あなたは初めてわたしを悲しませる。-夫の死に際しての一幕)』全体に、溝が痛んでいるためと思われる周回ノイズが出る。歪はない。
お聞き苦しいこと甚だしいが、エミー・ベッテンドルフの、ゆっくりと愛おしむように歌い込んでいく、自由な起伏に富んだ希少な歌唱に免じてお許しいただきたい。
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