78rpmはともだち #11 ~ユリア・クルプ シューマン『女の愛と生涯』~
1948年にLPレコードが発売されるまでの音楽鑑賞ソフト(音盤)であった78rpmについて綴るシリーズ。
今回は女声歌曲集の中でも随一の人気を誇るロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810-1856)の作品、『女の愛と生涯 -Frauenliebe und Leben-』Op.42の78rpmを。
『女の愛と生涯』
『女の愛と生涯』は1840年に作曲された8曲から成る連作歌曲。
テキストはフランス出身のドイツ・ロマン派の詩人で植物学者でもあったアーデルベルト・フォン・シャミッソー(Adelbert von Chamisso,1781‐1838)。
そのタイトル通り、女性が未来の夫と出会い、結婚し、最後に死別するまでを描いた作品である。
各曲は以下の通り。
1. 彼に会って以来(Seit ich ihn gesehen)
2. 彼は誰よりも素晴らしい人(Er, der Herrlichste von allen)
3. 分からない、信じられない(Ich kann's nicht fassen, nicht glauben)
4. わたしの指の指輪よ(Du Ring an meinem Finger)
5. 手伝って、妹たち(mir, ihr Schwestern)
6. やさしい人、あなたは見つめる(Süßer Freund, du blickest)
7. わたしの心に、わたしの胸に(An meinem Herzen, an meiner Brust)
8. 今、あなたは初めてわたしを悲しませる(Nun hast du mir den ersten Schmerz getan)
1840年は「シューマン 歌曲の年」と言われ、『女の愛と生涯』と並ぶシューマンの代表作『リーダークライス』や『詩人の恋』もこの年に作曲された。
天才的ピアニストであったシューマンらしく、これらの歌曲集はピアノに重要な地位が与えられ、単なる「伴奏」に留まることなく、曲を表現するにあたって歌と対等な関係が築かれている。
ピアノに与えられた旋律、和声によって曲の内容、意味するところがより強調され、聴く者を曲に惹きつけることに成功している。
ソプラノ、メゾ・ソプラノ、アルト(コントラルト)
もちろん女声によって歌われる作品だが、声域を選ぶものではない。
ソプラノ、メゾ・ソプラノ、アルト(コントラルト)と、古今東西の名歌手たちがリサイタルで取り上げ、レコーディングしている。
『女の愛と生涯』を聴く楽しみは、まさにその点にあって、その歌手の声質、表現によって、同じひとりの女性の生涯を描いているにもかかわらず、少しだけ違った女性、人生に聴こえてくるところだろう。
例えば、エディット・マティス(ソプラノ)、ユリア・ハマリ(メゾ・ソプラノ)、モーリーン・フォレスター(コントラルト)・・・、この個性ある味わいの数々・・・。
そもそも、ソプラノとコントラルトでは明らかに声域、(オペラで)求められる役柄は異なるが、19世紀、ソプラノとメゾの明確な区別はなかった。
例えば、モーツァルト『フィガロの結婚』のケルビーノ、ロッシーニ『セビリアの理髪師』のロジーナ、ビゼー『カルメン』のタイトル・ロールは、メゾ・ソプラノが歌う、というイメージがあるが、今も昔もソプラノと呼ばれる歌手でこれらの役を得意とする人もいる。
『女の愛と生涯』の78rpm
さて、78rpm時代に『女の愛と生涯』を録音している歌手はもちろんいる。
一番有名なのはロッテ・レーマンが1928年11月10日にベルリンでレコーディングした盤だろうか?
因みにこの盤では伴奏はピアノではなく、小型オーケストラだ。
こちらの78rpm、第1曲『 彼に会って以来』のみだが【ターンテーブル動画】があるので、よろしければご覧いただければと思う。
手元にはこのレーマン盤も含め、5名の歌手による全曲収録の78rpmと、一部を録音した数名の歌手のものがある。
そんな中、今回はユリア・クルプによる、恐らく音盤史上最初にレコーディングされた『女の愛と生涯』全8曲をご紹介。
ユリア・クルプ
ユリア・クルプ(Julia Culp,1880.10.6-1970.10.13)はオランダ・フロニンゲン生まれの歌手。
先ほどの話と重複するが、彼女のいくつかのプロフィールや音盤のクレジットを見ると、「ソプラノ」「メゾ・ソプラノ」「アルト」「コントラルト」という表記が混在する。
クルプはアムステルダムの音楽院でコーネリエ・ヴァン・ツァンテンに師事。
その後ベルリンへ向かい、エテルカ・ゲルスターに師事。
1901年マグデブルクの演奏会でデビュー。その後、ヨーロッパ各地で演奏する。
しかし、この時代の歌手では珍しくオペラには出演せず、歌曲や宗教音楽に専念して活動した。
彼女の声は決して大きくもなく、感情の起伏もそれほどではない。ある意味、淡々としている。そんなところが彼女をオペラへ向かわせなかった理由かもしれない。
しかし、この『女の愛と生涯』をお聴きになれば感じていただけると思うが、まさにソプラノともメゾともアルトとも限定できない不思議な、しかし心の中にストンと落ちてくる微妙な色合いのある声、作品にのめり込み過ぎない冷静な解釈、そして何と言っても、自然なフレージングにクルプの大きな魅力があるように思う。
人は彼女のことを「オランダのナイチンゲール」と呼んだ。
言い得て妙だ。
因みに、今年の朝の連続テレビ小説『エール』の双浦環(柴咲コウ)のモデルとなった三浦環が、1884年生まれなのでクルプと同時代の歌手ということになる。
クルプは1906年から1926年の間に約90の録音セッションを持っている。
しかし、1919年にオーストリアの実業家フォン・グリンスキーと2度目の結婚をした後、表立った演奏活動をしなくなったという。
また、ユダヤ人家系に生まれたクルプは、1938年、ナチス・ドイツがオーストリアを併合した時はウィーンに住んでいたが、アムステルダムへ移った。
さらに1940年にナチスがオランダへ侵攻すると、深刻な身の危険を感じ、妹たちと共に徹底的に身を隠し、終戦を迎えることができたという。
そして、1970年10月13日、長く住み続けたアムステルダムのアパートで亡くなった。
1週間前に90歳になったばかりだった。
【ターンテーブル動画】
さて、クルプのシューマン『女の愛と生涯』の78rpm。録音は1910年7月1日に行われている。ピアノはオットー・バーケ(Otto Bake)。
ユリア・クルプ、29歳の時の記録だ。
当然、マイクロフォンが発明される前の時代、ラッパ型の集音器に向かって歌い、音声を電気信号に変換せず、その振動を直接レコード原盤に刻み込む録音方式、アコースティック録音だ。しかし、クルプの歌の本質に触れるには十分すぎる音質だ。
私が所有しているのは、後にリリースされた日本ライセンス盤。
レーベルに「ニッチク」の名が見られる。
ニッチク=日蓄工業は、日本コロムビアが国策により改称した(させられた)会社およびレーベル名。よって、この78rpmも戦時中に発売されたものだ。
しかし、ジャケットは大きな破損もなくしっかりとしており、盤そのものもほとんどかけられた形跡がない美しいものだ。
これを1,700円で購入した。申し訳ない気持ちがつのる・・・。
ユリア・クルプの歌声を聴きながら、冬を迎える・・・・。
【追記】
日本コロンビアのHPの「会社沿革」には、「日畜工業」に改称されたことは記されておらず、1946年に「日本コロムビア」になったことのみが記載されている。
ニッチクへの改称は止むに止まれぬ事情でのことなので、何も隠すことなく堂々と明記すべきかと思うが、いかがなものだろう?