クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #02~セルゲイ・クーセヴィツキ― ブラームス『交響曲第3番』
1926年製クレデンザ蓄音機で78rpmを楽しむシリーズ。
2回目の今回は78rpmのコレクションで、特にターゲットにしているブラームスの『交響曲第3番 ヘ長調 作品90』の、とある78rpmをご紹介。
ブラームス 『交響曲第3番 へ長調 作品90』
ブラームスの4曲の交響曲の中で一番地味なのが、この第3番ではなかろうか?
第1番が「苦悩から勝利へ」、第2番が「自然」、第4番が「諦観」といった明快なキーワードを付与できるのに対して、第3番にはそれがない。
1873年12月、ウィーン・フィルを指揮してこの曲を初演したハンス・リヒター(彼はブルックナー の第4番と第8番の初演も指揮した)が「この曲はブラームスの『英雄』だ」と、ベートーヴェンの第3番を意識して言ったエピソードは有名だ。
しかし、もしこの曲に「英雄的なもの」を見い出すのであれば、それはベートーヴェンの「全人類的な英雄」ではなく、19世紀終盤を生きた人間(ヨーロッパ市民)一人ひとりの「尊厳と自由」に対してであろう。個人主義における「英雄性」とでも言おうか。
私がブラームスの交響曲の中で、第3番に最も愛着を感じるのも、そんなこの曲のキャラクター故である。
3曲と比較して標題性に乏しい(もちろんブラームスは他の3曲でも、標題性を掲げたわけではない)が、この曲の書かれた時代性 =「個人の尊厳と自由の尊重」を、色濃く聴き取ることができる。
ジョージ・セル、クレメンス・クラウス、ハンス・クナッパーツブッシュ
個人的にこの曲のリファレンスになっているのは、ジョージ・セルとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団による1951年録音のDeccaの LP盤。何よりもその音の運び方のスタイリッシュなところと、紡ぎ出されるその音が素晴らしい。
もちろん、セルには1960年代にクリーヴランド管弦楽団とレコーディングした全集盤がある。
しかし、その水をも漏らさない整ったアンサンブルより、ヨーロッパの伝統が育んだ、まるでこの地生まれの毛織物のような質感を湛えたコンセルトヘボウの音が、まさにこの曲が持つ「ヨーロッパ市民としての尊厳」にマッチするように思う。
ブラームスの第3交響曲が好きだと言う以上、他にも好きな音盤は多い。
セルのコンセルトヘボウ盤と同じような指向性を持った、クレメンス・クラウスとウィーン・フィルによる1930年録音の78rpmにもうっとりする。
また、それとは真逆とも言えるハンス・クナッパーツブッシュとベルリン・フィルによる1944年の放送用録音にも惹き付けられる。歌舞伎役者が大見得を切るような迫力に、有無を言わせない説得力がある。
クナッパーツブッシュはブラームスの交響曲の中ではかなり偏って第3番を愛し、リリースされた放送用、ライブ音源も沢山ある。
逆に第1番はよほど指揮しなかったのか、最初から眼中になかったのか、録音は残されていない。
大昔、「クナッパーツブッシュの指揮した第1番」という触れ込みでリリースされたLPが、実はオットー・クレンペラーのものだった、という笑えない話があった。
私も尊敬する、このレコードを評論した音楽評論家O氏は、「クナッパーツブッシュにしてはテンポの動きが比較的少なく、きっちりとしたもの・・・云々」と記していた。彼の名誉にとっても飛んだ迷惑な話だ。レコード・メーカーって、こういうところ、結構いい加減。
閑話休題。
ワーグナーの『パルジファル』を除き、クナッパーツブッシュの録音記録で、恐らく最も種類が多いのが、ブラームスの交響曲第3番だろう。
クナッパーツブッシュが1965年10月に亡くなった時、ウィーン・フィルが追悼演奏したのは、第3番の第2楽章だった。
セルゲイ・クーゼヴィツキー
さて、今日ご紹介するのはセルゲイ・クーセヴィツキーがボストン交響楽団を指揮した78rpm。1946年10月8日というレコーディング・データが残っている。
セルゲイ・クーセヴィツキー(Serge Koussevitzky, 1874-1951)はロシアに生まれ、革命後アメリカへ渡り、1924年から1949年までボストン交響楽団の常任指揮者を務めた。
そしてこのオーケストラを、ニューヨーク・フィルハーモニック(アルトゥーロ・トスカニーニ)、フィラデルフィア管弦楽団(レオポルド・ストコフスキー)と並ぶ「BIG 3」にのし上げた。
また現代音楽の庇護者で、スクリャービン、ストラヴィンスキー、オネゲル、コープランドといった作曲家たちにとって、クーゼヴィツキーは頼もしい存在だった。
そして、何といっても有名なのは、ムソルグスキーのピアノ組曲『展覧会の絵』のオーケストラ・アレンジを、1922年、ラヴェルに依頼したことだろう。「編曲版が原曲を超えた」という点で、このラヴェル編曲版は最右翼のケースだろう。
このようにクーゼヴィツキーは、それまでドイツ・オーストリア系音楽に偏っていたボストン響のレパートリーに、フランスやスラヴ系の音楽も加えていった。
その点ではクーゼヴィツキー同様、このオーケストラの高いクオリティを維持した、後のシャルル・ミンシュや小澤征爾はその伝統を引き継いだ、と言える。
そんなクーセヴィツキーの「ブラ3」。
クーセヴィツキーの熱心なリスナーではない私は、以前、曲は忘れたがCD復刻盤で聴いた時の印象(音質もとても悪かった)で、彼のことを「ウィレム・メンゲルベルクのエピゴーネン」と思い続けていた。
【ターンテーブル動画】
ところがどうだろう。
このブラームスは確かにアコーギクやポルタメントが皆無というわけではないが、そんなことより、とにかく力強さと包容力を持った「父性」のようなものをまず感じる。
半端なく強靭で、ちょっとやそっとでは微塵もたじろがない岩石のような•••。
このクナッパーツブッシュとはまた異なった男臭い、しかし決して加齢臭ではないブラームス。
またこの78rpmは珍しいことに、第一楽章の主題提示部がリピートされている。
現代では当たり前のことだが、片面5分が限界の78rpmで繰り返されるというのは極めて稀なことだ。
クーセヴィツキーの強いこだわりがあったのだろうか?
なお、録音はクレデンザのキャビネット正面に至近距離でオーディオテクニカ のコンデンサーマイク「AT2020」(一番安価なエントリー・モデル)を置き、タスカムのリニアPCMレコーダー「DR-40」で行なっている。ノイマンの高いマイクを使っては・・・いない。
イコライジングもフラットのまま。