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78rpmはともだち 番外編 ~E.クライバー モーツァルト『プラハ』~
1948年にLPが登場するまでの音楽鑑賞ソフトであった78rpmについてお話しするテキスト。
残りは「78rpmの入手方法」のみの予定でいたが、ここでちょっと中休み。
これまで「おまけ」で文末につけていた【ターンテーブル動画】だったが、今回は動画そのもの、その78rpmについて綴ろうと思う。
主役はエーリッヒ・クライバー。
エーリヒ・クライバー
エーリヒ・クライバー(Erich Kleiber)は1890年にウィーンで生まれ、1956年にチューリッヒで亡くなった20世紀を代表する指揮者。
50代よりも若いクラシック・ファンにとっては、「カルロス・クライバーの父」と言った方が通りがよかろうか・・・。
古典派やロマン派の解釈に優れていたほか、当時のコンテンポラリーな作曲家、例えばA.ベルクの作品なども取り上げ、名声を得ていた。
1920年代のベルリン
1923年、クライバーはベルリン国立歌劇場音楽監督に就任し絶頂期を迎えた。
当時ベルリンでは、ブルーノ・ワルター(ベルリン市立オペラ)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(ベルリン・フィルハーモニー)、オットー・クレンペラー(クロル・オペラ)の3人も活躍していた。
まさに「ベルリン・黄金の20年代」。
ここに1枚の有名な”奇跡的邂逅”の写真がある。
1930年、アルトゥーロ・トスカニーニがニューヨーク・フィルハーモニックを率いてヨーロッパ・ツアーを行った際、べルリンで行われた歓迎レセプションでの5ショットだ。
左からワルター、トスカニーニ、クライバー、クレンペラー、そしてフルトヴェングラー。
この1枚だけで妄想が限りなく広がる。まったく飽きない。
ヨーロッパ音楽界の1920年代~1950年代、そしてその時代にドイツ・オーストリア圏で活躍した名指揮者のことを「巨匠指揮者時代」と呼ぶ慣習がある。
それが凝縮された1枚。
ここにクレメンス・クラウス、ハンス・クナッパーツブッシュ、そしてカール・シューリヒトが加わればコンプリート? か・・・。
ヒトラーが政権の座に就くのは、この撮影が行われた3年後。
巨匠指揮者たちも「政治と音楽」という厄介な命題に、好まざるとも向き合わなければいけなくなる。
移住、そして戦後
1935年、クライバーはナチスの台頭を危惧して妻、そして当時5歳だったカルロスや娘らと共にアルゼンチンへ移住。
戦後、1954年にはベルリン国立歌劇場音楽監督に再び就任するが、当時の東ドイツ社会主義政府と折り合いが悪く、翌55年には辞任。
そして1956年1月27日、66歳で亡くなった。
この日はモーツァルト生誕200年の日であった。
「ヨーロッパ」と「時代」を生きたクライバー
19世紀的ロマン主義から即物主義へ移行していた時代に活躍したクライバー。
彼の作り出す音楽は、まさにその時代を象徴するようなものだった。
音楽はキビキビと機能性が高く、スマートで余計な私情をほとんど持ち込まないものだった。
しかし、かと言ってトスカニーニのような定規で線を引いたようなものでもない。
やはりそこには、ヨーロッパで培われてきた伝統を自然と継承し、自己の中で消化、血となり肉となった結果、醸し出される「薫り」のようなものがある。
モーツァルトとクライバー
モーツァルト生誕200年、その当日に天に召されたということ以前に、クライバーとこの天才作曲家の関係は、「指揮者と作曲家」の幸福な結びつきの典型と言ってよいだろう。
有名なのは1955年6月、クライバーが亡くなる約7か月前に録音された歌劇『フィガロの結婚』全曲。
当時のウィーン・オール・キャストで制作されたこのLPには、幸い商品実用化されたばかりのステレオ録音も残されている(ただし、音楽的満足度は上のモノラル・バージョンの方が高い)。
オリジナル・ステレオ盤の現在の市場価格は、程度の良いものであれば200,000円を決して下らないだろう。
「優雅ではあるが、決して甘すぎず、陶酔もしていない、覚醒された健康なモーツアルト。」
それがクライバーのモーツァルトである。
出発点であるプラハ
クライバーはプラハ大学で歴史と哲学を学んだ。
しかし、学生時代から劇場通いをし、当時ヨーロッパ音楽界を席巻していた指揮者で作曲家のグスタフ・マーラーに憧れ、指揮の道を志すようになる。
プラハ音楽院で指揮を学んだ後、1911年に指揮者デビュー。
プラハはクライバーの音楽人生スタートの地である。
一方、モーツァルトにとってもプラハは、本拠地ウィーンでその名声に翳りが見え始めた頃にあっても『フィガロの結婚』の上演が重ねられた町である。
そして、その成功を受けて作曲された『ドン・ジョヴァンニ』はプラハで初演された。
『ドン・ジョヴァンニ』初演に先立ち、1787年1月19日にプラハで初演された『交響曲38番 ニ長調 《プラハ》』は、このオペラとの関連性を指摘される傑作。
二作品とも明るいニ長調が主調であるにもかかわらず、時々デモーニッシュ(悪魔的)な姿を垣間見せる。
1929年2月9日、ウィーン・コンツェルトハウスのモーツァルト・ザールで、ウィーン・フィルハーモニーと録音したクライバーの《プラハ》78rpm。
78rpmの探し方、上手な買い方、コレクション方法については、次回のテキストに記そうと思っているが、この78rpmは3枚組。
私はこれを「ヤフオク!」にて4,000円程度で落札したように記憶している。
おそらく、78rpm専門店で購入したら20,000円は下らないかもしれない。
クライバーの、そしてヨーロッパの黄金時代を体感できる素晴らしい78rpmである。
是非お聴き、ご覧ください。