この季節に聴きたい~ブラームス『クラリネット五重奏曲』
季節の音楽
「この季節になったから」と言って、レコード・CD棚から取り出すクラシックの音盤が、皆さんにもおありであろう。
例えば、クリスマス時期にチャイコフスキーの『くるみ割り人形』、寒さが頂点に達したと思った1月末にシューベルトの『冬の旅』、キリスト受難の時期、特に聖金曜日になれば、バッハの『マタイ受難曲』、春の息吹きが感じられるようになったら、ベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ《春》』・・・。この辺りは作品の内容やストーリーが、そのまま季節と結びつく。
また、これは日本独特の風習だが、年末になればベートーヴェンの『第九』を聴き、1年の終わりを実感する。
首都圏を拠点とする10弱のプロ・オーケストラが12月に『第九』のコンサートをそれぞれ数回行う。つまり30~50公演ほどの「第九演奏会」が開かれるわけだが、そのほとんどはソールド・アウト状態だ。それほどまでに『第九』と「年末」は分かち難いものになっている。
このような誰でもが共通して感じる、そして実際に聴いてみる「季節のクラシック」とは別に、特段その作品が季節と具体的に結びつきを持っていなくても、何故かある季節、時期になると聴きたくなる、という曲も皆さんお持ちであろう。
特に明確に(もちろん、北海道と沖縄では異なるが、それでも)四季がある国に住み、季節と感情や風情を結びつけることに長けている日本人は、そういう音楽の聴き方が大好きだ。感情移入できる音楽が・・・。
ブラームス『クラリネット五重奏曲』
私の場合、そう言える音楽の最右翼は、ヨハネス・ブラームスの『クラリネット五重奏曲 ロ短調 Op.115』だ。
ブラームスは史上初のレコーディングを行ったアーティストと言われている。
1889年12月2日、トーマス・エジソンから間接的に依頼され、自作『ハンガリー舞曲第1番』とヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・マズルカ『とんぼ』をピアノ演奏し、それが録音された。
音楽を音として記録するというエポック・メイキングの当事者となったブルームスではあったが、この時の自身の演奏に衰え、そして自らの老いを痛感し、作曲の筆を折ることを考え始めた、と言われている。この出来事は一方では皮肉なものとなった。
そんな中、ブラームスの作曲意欲を奮い立たせた人がいた。
ブラームスの作品を数多く取り上げていたハンス・フォン・ビューローも指揮者を務めていたことがあるマイニンゲン宮廷管弦楽団のクラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトだ。
ブラームスはミュールフェルトの演奏を聴いて感嘆し、彼の奏でる音色、テクニックを念頭に置いて、『クラリネット三重奏曲』(クラリネット、ヴァイオリン、ピアノ)、『クラリネット五重奏曲』(クラリネット、弦楽四重奏)、2つの『クラリネット・ソナタ』(クラリネット、ピアノ)を作曲した。
『クラリネット五重奏曲』は1891年11月24日、マイニンゲン宮廷において非公開で初めて演奏された。クラリネットはもちろんミュールフェルト、第一ヴァイオリンはかのヨーゼフ・ヨアヒム、他のメンバーもマイニンゲン宮廷管弦楽団の団員だった。
正式な初演は12月10日、ベルリンにて同メンバーで行われ、大絶賛されたという。
初演された時期からすると、まさに今この季節に聴くのが相応しい、ということになる。しかし「この日何の日」的でなくとも、この作品は次第に寒さを増していくこの季節、世間は師走、クリスマス、年末と良くも悪くも賑やかさと慌ただしさを増す今どき、そうした喧騒から距離を置いて、一人じっくりと曲に向き合ってその音楽に酔う、というシチュエーションになんとマッチすることだろう。
「浪漫」「メランコリー」「憧れ」「陰影」「回想」・・・、といった言葉たちがこの作品にはよく似合う。
編曲に苦悩するブラームス
モーツァルトがその天才だとすれば、ブラームスは「自分が思いついた楽想を、どういった楽器編成でまとめるのが最も効果的か?」については判断を迷う人、苦悩する人であった。
例えば、『クラリネット五重奏曲』とともにブラームスの室内楽曲人気曲で佳作の『ピアノ五重奏曲』。
この曲はまずチェロ2挺の弦楽五重奏曲として作曲された。だが、ヨアヒムの駄目出しがあり、なんと一転、2台のピアノのためのソナタになった。そして、その形で初演までされたにもかかわらず、今度はシューマンの妻で高名なピアニスト、そしてブラームスの「女神」であったクララから「ピアノ2台は不適当」という、まさに鶴の一声が上がってしまった。結果、ブラームスはこれをピアノと弦楽四重奏による五重奏曲にした、というわけだ。
そんなブラームスにあって、ミュールフェルトの演奏にインスパイアされ、彼を念頭に書かれた4曲は、そもそもがクラリネットありきの曲だったので、ブラームスに迷いは少なかった。
実際、ブラームスはこれらの作品を珍しく速筆で書き上げた。
「名曲は名演を生む」
ブラームス『クラリネット五重奏曲』には数多い名録音、名盤がある。「名曲は名盤を生む」の典型だ。
その中でも歴史的名盤として名高く、録音から70年近く経った今でも、「これを以って、この曲の最高の名演とする」と多くの人が口を揃えるのが、レオポルト・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるアメリカ・ウエストミンスター盤(1952年)だ。
先ほど掲げたようなこの曲の持つイメージのすべてを内包しているような演奏である。
ただし「この曲を以って・・・云々」という「この曲の名盤」といった言い方は、個人的にはあまり感心しない。
故人となってしまったが、雑誌「レコード芸術」でレコード月評を担当していた音楽評論家U氏がよく「○○、◇◇、△△でこの曲のベスト3、決定盤」といった表現を多用していた。
しかし、レコードが超貴重品であって、同じ曲を違った演奏で楽しむことが、物理的に困難な時代であった高度成長期以前ならともかく、21世紀に入ってもなお、こうした常套句を使って音楽、音盤を表現する、ということには私は賛同できない。氏と同様の考え方なのかどうかは定かではないが、何かにつけ「名曲名盤ランキング」的企画でお茶を濁す「レコード芸術」も然り。
閑話休題。
ウラッハ以外にも聴くべき内容を持ったLP、CDは多い。
ドイツ音楽の伝統を頑なに守るオスカー・ミヒャリクとベルリン・シュターツオーパー(モービッツァー)弦楽四重奏団の製図を基に寸分違わず組み上げられた工業製品のような、しかし決して無機質でない演奏。
それよりも少し柔軟性をもって素朴に語り掛けるようなハインリッヒ・ゴイザーとドロルツ四重奏団。
バゼット・クラリネットも演奏し、クラリネットの持つ音の魅力を最大限に引き出すようなシア・キングとガブリエリ弦楽四重奏団の自然な演奏もいい。
そしてここ最近で言えば、スペイン出身ながらドイツの音楽的マナーも持ち合わせ、鮮やかなテクニックにより音楽的共感を露わにするラウラ・ルイス・フィレスと、ブラームスを始めとしたロマン派室内楽の名盤を多く送り出しているマンデルリング四重奏団のCDも印象深い。フィレスはこの2枚組CDでブラームスのクラリネット作品4曲すべてを演奏している。
さてそんな中、今回ご紹介したいLPはフランツ・クラインというクラリネット奏者が録音したモノラル盤。
少し前にシェッファー四重奏団のモーツァルトをご紹介した際にも触れた、フランスの会員制通販レーベル「クラブ・フランセ・デュ・ディスク(CFD)」から、1962年リリースされたものだ。
クラインのプロフィールは、ドイツのクラリネット奏者ということぐらいしか分からないが、このLPの他にもモーツァルト、ウェーバー、レーガーなどの作品をレコーディングしている。
一方、弦楽器奏者の方は常設の四重奏団ではなく、4名とも個人名でクレジットされている。
ヴァイオリンがギュンタ―・グーゲルとヴェルナー・ノイハウス、ヴィオラはエルンスト・ニッペス、そしてチェロがフェレンツェ・ミーハイ。いずれも聞き覚えがない奏者だと思ったが、第1ヴァイオリンのグーゲルはあるLPにソロ奏者としてその名がクレジットされていた。
ギュンタ―・ヴァントがケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団と、同じくCFDに録音したモーツァルトの『ハフナー・セレナーデ』のソリストとしてである。
シェッファー四重奏団の回でヴァントがCFDのメイン・コンダクターであったことはお伝えした。
そのヴァントとギュルツェニヒ管弦楽団のレコードでヴァイオリン・ソロを受け持っているということは、おそらくグーゲルはギュルツェニヒのコンサートマスターだったと推測される。さらに突っ込めばクラインも含め、この演奏に参加しているのは、ギュルツェニヒ管弦楽団のメンバー、少なくともケルンをベースに活動していた演奏家たちと言えないだろうか?
【ターンテーブル動画】
まぁ、演奏者がどんなプロフィールなのかは、それほど重要ではない。要は演奏だ。
クラインとグーゲルたちの演奏は、もちろんドイツ演奏家らしい堅実なブラームスではある。しかし、ミヒャリクやゴイザーの演奏と較べると、爽やかさというか「青さ」がある。決して重くはならず、油絵というよりクレパス画(水彩画ではない)の趣きだ。
演奏者は違うが、シェッファー四重奏団のモーツァルトやベートーヴェンと共通するところが多い。これはやはりCFDというレーベルのひとつの特色だと思われる。