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F.ライトナー のシューマン『ライン』

最近Twitterを見ていると、フェルディナント・ライトナーを贔屓にしている方が多いように思う。
いや、私がフォローしたり、私をフォローしていただいている方々がそうなだけであって、単なる錯覚、「枝を見て森を見ず」なのかもしれない。
しかし、私が大好きな指揮者の話題がちょいちょい出てくるのは、もちろんうれしい。大歓迎だ。
というわけで、今回はライトナーと彼の名盤について。

フェルディナント・ライトナー

ライトナーの簡単なプロフィールを。
1912年ベルリン生まれ。ベルリン音楽大学卒業後、ゲオルク・クーレンカンプハンス・ホッターなどのピアノ伴奏者をしていたが、1935年にイギリスのグラインドボーン音楽祭でフリッツ・ブッシュのアシスタントを務め、指揮者としての研鑽を積む。
1943年にノレンドルフ・プラッツ劇場の指揮者となり、指揮者としてのキャリアを本格的にスタート。
1947年にはシュトゥットガルト州立劇場のオペラ監督になり、1950年からは音楽監督に昇格、1969年まで務めた。
シュトゥットガルト州立劇場と聞いて、ある指揮者の名前がピーンと来た、という方もいらっしゃるかもしれない。
そう、カルロス・クライバーだ。
カルロスは1966年と1973年、この劇場のカペルマイスター(第一指揮者)を務めている。つまりライトナーの部下だったことがある、というわけだ。
ドキュメンタリー・フィルムで彼が時の劇場総監督ヴァルター・エーリヒ・シェッファーに、オーケストラ・ピットやステージの改善要望を、矢継ぎ早にぶつけている場面をご覧になった方もいらっしゃるだろう(YouTubeの20分20秒あたりから)。

ライトナーが56年にカルロスの父、エーリヒ・クライバーの後任としてブレノスアイレスのアトロ・コロンの常任指揮者に就任しているのも何の因果か・・・。

1969年から1979年まではチューリッヒ歌劇場の音楽監督を務めている。

ニコラウス・アーノンクール
とチューリッヒ歌劇場は共同でモンテヴェルディのオペラの上演および録音のプロダクションを残しているが、その時期はライトナーの任期とほぼ重なる。
先日シェッファー四重奏団の記事で、ライトナーがケルンの古楽器系オーケストラ、カペラ・コロニエンシスを指揮し、録音も残していることを書いた。

それを思うと、アーノンクールの客演、録音に音楽監督のライトナーがどこまで関わっていたかはわからないが、ライトナーがこの時代にはまだたくさんいたオペラハウス叩き上げの旧来のタイプの指揮者ではなかった、という想像がつく。

1977年から1980年までハーグ・レジデンティ管弦楽団の首席指揮者を務めた。

日本の音楽ファンにとっては、ベートーヴェン生誕200周年に合わせてレコ―ディング、リリースされたヴィルヘルム・ケンプの「ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集」をベルリン・フィルハーモニーと共に録音したこと、そしてNHK交響楽団の客演指揮者として「第九演奏会」をはじめ、独墺のオーソドックスなレパートリーの名演を残したことにより、記憶に留まっている人だろう。

これは余談だが、ライトナーが生まれた1912年「指揮者の当たり年」と言われている。主だった人だけでも、月日順にギュンター・ヴァントエーリヒ・ラインスドルフ、(ライトナー)、フェリックス・プロハスカシャーンドル・ヴェーグセルジュ・チェリビダッケイーゴリ・マルケヴィチクルト・ザンデルリング、ゲオルク・ショルティがこの世に生を受けている。

ドイツ・グラモフォンのカタログ拡充班として

レコード・レーベル「ドイツ・グラモフォン」(Deutsche Grammophon Gesellschaft 以下DGと記す)。
円盤レコードの発明者でもあるエミール・ベルリナーが1898年に興したドイツを、そしてクラシック界を代表するレコード・レーベル。

第二次大戦後、戦後復興に総力をあげていた西ドイツ、そしてバッハからリヒャルト・シュトラウスに至るまでのドイツ音楽の伝統を保持するこの国にとって、レコード産業再興は国策のひとつと言って過言ではなかった。折しもレコ-ド・メディアは78rpm(SP)からLPに移行していた時期で、新しい録音を新しいメディアでリリースすることは、「カタログの充実化」にあたり重要だったはずだ。

そんな1950年代のDGの主力指揮者は、まだ30代だったフェレンツ・フリッチャイとオイゲン・ヨッフム、そしてデッカ(DECCA)から移籍してきたカール・ベームの3名だった。

この3名はそれぞれの力を最大限に発揮できるレパートリーを録音していった。その権利があったのだ。
フリッチャイならオペラの名作チャイコフスキードヴォルザーク、そしてお国物のバルトーク、ヨッフムならブラームスブルックナー、そしてベームはR.シュトラウス・・・。ベートーヴェンは3人の、モーツァルトはヨッフムとフリッチャイの2人、そして後々はベームも加わった共有レパートリー、という雰囲気だった。

しかし、この3人だけでドイツ音楽のみならず、フランス、イタリア、東欧、そしてDGの古楽部門であったアルヒーフ(Archiv)のレパートリーを網羅することなど到底無理で、DGには「レパートリー・カタログ拡充班」といも言うべき指揮者が存在した。
その代表が当時、30代後半でシュトゥットガルト国立劇場音楽監督を務めていたライトナーと、ゲッティンゲン、ベルリン、ミュンヘンなどで活躍していたフリッツ・レーマンだ。

当時の彼らのディスコグラフィーを眺めていただければ一目瞭然、この2人は78rpm時代から続いていたオペラの抜粋やアリア、協奏曲の伴奏や、そしてフリッチャイ、ヨッフム、ベームが自分の得意なレパートリーを優先的にレコーディングできるのとは異なり、そこからはこぼれるが、カタログには必要な作品、通俗名曲をベルリン・フィルバンベルク交響楽団などを相手に次から次へとレコーディグしていった。

しかし、侮ることなかれ。
そんなライトナーやレーマンのLPに思わぬ名演が潜んでいるのである。とてもルーティン・ワークとは思えないような・・・。
しかもとても安価で。

レーマンに対しては人一倍愛着があるので別の機会に譲るが、ライトナーのこの時期の名盤をいくつか見繕ってみると、
●メンデルスゾーン『交響曲第3番《スコットランド》』(バンベルク交響楽団)
ワーグナーの歌劇、楽劇の抜粋盤(当時のクナッパーツブッシュカイルベルトのバイロイトに決して引けを取らない)
●ドヴォルザーク『交響曲第7番(旧第2番)』(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)
●リヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士・抜粋』(シュトゥットガルト州立劇場管弦楽団)
などがある。
アルヒーフに目を転じれば、このレーベルのLP第1号であるバッハ『マニフィカト』(アンスバッハ・バッハ週間管弦楽団)もある。

そして今回取り上げるシューマン『交響曲第3番 変ホ長調 Op.97《ライン》』もその一つだ。オーケストラはベルリン・フィルハーモニー。

フルトヴェングラーの『第4番』、ライトナーの『第3番』

1950年代のDGのシューマン交響曲録音と言えば、それはもうヴィルヘルム・フルトヴェングラーの『第4番 ニ短調 Op.120』に尽きる、といった感じだろうか?

1953年5月14日にベルリン・フィルを振ってセッション録音されたこの音盤は、ライブではないのにライブで聴かれるフルトヴェングラーの神髄、熱やうねりを感じるものとして高く評価されている。
オリジナル盤の流通価格もその評価同様とても高い(私は所有したことはない)。

一方、ライトナーの『第3番』は同年1953年の11月2日~4日にかけて同じくベルリン・フィルを振り、ベルリン・イエス・キリスト教会で録音された。

この関係をどう捉えるのか?DGの意図と事情はどんなものだったのだろうか?と、想像は膨らむ。
ただし、そんな想像、フルトヴェングラーの『第4番』との関係性で語る必要など全くない、ライトナーの素晴らしさが味わえる『第3番』と断言したい。

ライン川

話が横道にそれるが、ドイツを旅するためにフランクフルト空港に降り立ち、そこからDB(ドイツ鉄道)でケルンへ向かうとする。
一番便利で速いのはICE(インターシティエクスプレス)に乗ってICE専用軌道を走る方法。1時間弱でケルンに到着する。
しかし、トンネルばかりで旅情などあったものではないこの方法ではなく、ここはIC(インターシティ)かEC(ユーロシティ)に乗っていくのをお勧めしたい。
昔は空港駅からICやECがケルンまで走っていたが、久しぶりにDBの時刻表を見たら直通はなくなっていて、鈍行でマインツまで出て、そこからの乗車になるようだ。空港駅からだと総時間で2時間50分弱、ICEの約3倍の所要時間である。
座席は進行方向の右側の列を。何故なら、このマインツからほぼずっと線路と並行してライン川が流れているから。
その車窓からの景色の美しさと言ったら言葉では言い表せないほど「ドイツに来た~」と、心躍るものである(だいぶ昔、速度100kmほどで走る列車から窓越しに撮影した出来のよくない写真で恐縮)。

単純な凡人である私はこの車窓からの眺めを始めて体験した時、間髪入れずにシューマンの『ライン』が、それもこのライトナーの《ライン》流れてきた。条件反射に等しい。

【ターンテーブル動画】

手元にあるのは、イギリス・プレスのオリジナル10inch。
絶好のコンディションとは言えない箇所もあるが、充分鑑賞には耐える盤だ。
フェルディナント・ライトナー、当時41歳。
35歳の若さで、ドイツの名門劇場の音楽監督となったという矜持を感じさせながらも、戦前の古き音楽とは異なる爽やかな風を送り込むライトナー。
「《ライン》はやっぱり、こうじゃなくっちゃ!」と唸る名盤だ。

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