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ここ3週間の出来事(演奏編)


この続きです


オーディションを受けることを決めた以上、練習をしなければなりません

受けることを決めた理由はいくつもありますが、中でも

・毎日バイオリンを弾くことができる
・大きなホールのステージで満席のお客様の前で演奏する
・“弾ける” から “演奏” に戻す
・娘たちをはじめ、私が関わる子どもたちに私が輝く姿を見せる
・バイオリンは人生の伴侶です!

が主な理由です

家に防音室は無く、極力周りに迷惑を掛けたくないので、家族が寝静まった後か、家族揃っている時間を削るか、家に私一人の時間が練習時間になりました

家族がいる時はミュート(消音器)を付けて、一人の時はそのままで、が気楽に練習できる方法です

再開してからというもの、好きな曲や簡単な曲ばかりで、バッハのように向き合わなければならない音楽は久しぶりです

習い始めたばかりであったり、趣味であるならば、ミュートを付けての練習は大きな問題ではありません

オーディションを受ける立場、しかも○十年しっかりと練習していない、ましてやまるっきり弾いていない期間がある私にとっては、不利でしかない(オーディションを受けない言い訳のひとつでした)

特にバッハのような繊細な曲の練習にミュートを付けて練習する…

それでも進んでみる、練習してみる決心をしたのです

実際に、ミュートを付けての練習は、ミュートを外した時との違いが大きく、音の響きの違いに戸惑うことも多々ありました

重音の響き、細かい音、長い音、音の表情、どれを取っても、ミュートの有る無しで音が違う

「気にしない」こともひとつの条件に加わりました

今後、同じように練習しなければならないことが出て来た時、今と同じ環境であるならば練習方法は “変えられない” からです

常時ミュートを使用しての練習は初めてで、新しい挑戦となりました

そしてオーディション当日

ミュートによる音の違いや感覚の違いを埋めることは出来ませんでした

が!

そんな中でも変化を感じることがあったのです

その① 音の芯

長いブランクのある私は、自分の音の芯がブレていると、いつも感じていました

単純に練習量でしょ?と言われればそれまでかもしれません

しかし、オーディション当日の音ですら、自分の音の芯は見えませんでした

それが、翌日練習した時に、初めて音の芯が見えたのです

例えるならば、芯を “線路” だとするなら、音はそこを走る “電車”

本来走らなければならない線路があったり無かったり、線路があってもその線路の上を走れなかったのがオーディションまで

走るべき線路が途切れることなく、脱線することも無くなったのがオーディション翌日から

“練習量” というよりは “感覚” だと感じた出来事でした

その② 音の質

音の芯と似ていますが、どちらかというと、音の美しさだったり、音の表情だったりをお話しします

再開してしばらくしてから、「ステキな音」「美しい音」「嬉しくなった」などのお声掛けを頂くことはありました

嬉しいことではありますが、ずっと自分の音に納得出来ていなかったのです

お出汁も具も入って無いお味噌汁な感じ

オーディション当日もそんなお味噌汁のような演奏に感じて、「このまま戻らないんだな」とまで思ってしまった程

しかし、これもまた翌日から、急にお出汁どころか、具沢山のお味噌汁に変身

「この音が出したかった!」「どうして昨日は出来なかった?」と不思議に思いますが、 自分でもよく分かりませんwww

その③ 音の重心

先日、カラダの重心のことを書きました

カラダの重心もオーディション当日は胸のあたり

当然フワフワとした芯の無い音で重さはありません

これもまたオーディション翌日に急に重さが出て来ました

これは「言葉の重み」と似ています

深みのある音、です

練習量ではなく、経験の有無ですね

その④ “弾く” から “演奏” へ

“弾く” は楽譜を音に変換したもの、または “曲が弾ける” というもの
主体は “自分” です

“演奏” は曲に表情を付け、解釈を付け加えたもの、また “聴く人” が存在する状況
主体は “自分以外” です

というのが私の考え

再開してから演奏会は行っているし、お仕事で “演奏” して来ています

今まで、今の自分の “演奏” を無理矢理 “納得” させている自分がいました

“今の私はこれしか出来ないから”
“ブランクあるから仕方ない”
そんな “言い訳” ばかりして、自分は “演奏している” と “納得” させていたのです

本当は “弾いているだけ” と思っているにも関わらず…

そこには “どうやったら演奏に戻せるか分からない” 自分もいました

ブランクのある私は舞台に立つことは許されない
そんな夢を持ってはいけない

バイオリンを再開した時、「もう一度大きなステージで演奏する」と自分自身と約束したにも関わらず、自信を無くしていました

今回のオーディションの演奏時間はたったの10分程

このほんの10分程の演奏を経ただけで、以前の “演奏” の感覚が甦ったのです!

再開してからずっと戻せなかった “うたう” という感覚

今はスケール(音階練習)でさえ “うたって” 練習できるまでに戻りました


一番バイオリンを “弾く” うえで大切な “音を奏でる” “演奏する” ということ

今回の経験を経て言えることは
“100回の練習より1回の本番”
がいかに大切かということ

ただただ本番を積み重ねれば良い訳ではありません

その本番に持っていく為の練習、時間、向き合い、全てがあってのことです

「~でいいや」「~だから」ではなく「~がいい」「~にする」という言葉への変換

まずはそこから始めてみることが大切かもしれません

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