バッカス店主

池袋で大衆居酒屋をやってるおっさんのブログ

バッカス店主

池袋で大衆居酒屋をやってるおっさんのブログ

最近の記事

感謝 #グナで新年会

やっとアーセナルの2024年が始まりましたね。 今年も欲張って2回もグナで新年会を開催し、両日とも多くの心優しきグーナー達が集結し、楽しく開催できました。 20年以上前にアーセナルをきっかけに知り合った友人から、初めて参加された方。 いつも県外から駆けつけてくれる方々、佐賀、岐阜、名古屋、福井、京都…そして韓国からも! 年々広がっていく、アーセナルの輪。 そんななかでも大きなトラブルもなく、いつも無事に終えられるのは愛するクラブのポリシーも関係しているのかもしれません

    • ふれあい練習見学 #fmarinos

      11月19日 ポカポカ陽気にも恵まれマリノススポーツパークに行ってまいりました。 トリコロールメンバーズ限定でしかも抽選制というダメ元で応募したのが運良く当選。 自宅から2時間かけて京急久里浜へ。 駅改札を出て、右に向かい、左の階段を降りてそのままポンパドール🍞さんの前を通過し、マリノスの旗が揺れる商店街?をまっすぐ進みます。 最初にぶつかる交差点 を右に折れ、そのまま道なりにカーブしながら歩いて行きます。途中不安になりますが、電柱にはマリノスの装飾がしてあり、道の

      • 素敵なサポーター

        バッカスのブログでおそらく一番アクセスがあった記事の転載です。 もう9年前のものになりますが、東京ダービーでの事あったので再掲いたしました。 サポーターの問題でJリーグを中心になんだか騒がしい。 先日の一件に関しては、現場にいた方々からもチラホラ話は入ってきてはいますが、 個人的なコメントはこちらでは控えます。 ただひとつ。人種差別反対です。とだけ。 私はこのブログやTwitterで度々現地観戦をオススメしています。 それは何よりスポーツはやっぱりLIVEの方が楽しい

        • さらなる高みを目指して。ありがとうジャカ

          僕はずっとグラニト ジャカに懐疑的でした。 というよりずっと批判していました。 ジャカが戦術の中心ではアーセナルはトップオブトップへ戻れないと… 数年前、初エミレーツ観戦でマンチェスターU相手にアルテタがリーグ初勝利を挙げた試合はアルテタが最終ラインに落ちる事によって、サイドバックを押し出して攻撃的な布陣を引くことによって得た勝利にも関わらず… 不必要なカードで、しばしばゲームを壊すような選手を盲目的に愛するような性癖は持ち合わせていない… なんて思ってたんですけどね…

          #信州ダービー

          まさか今シーズン2回も信州ダービーを観戦することになるとは思いもしなかった… 従姉妹の息子がトップチームデビューするかも?ということで、急遽、長野県松本市まで連れて行ってもらって、親戚が決勝ゴールを決めるという奇跡を体験したのがついこの前、5月8日の天皇杯長野県代表決定戦。 2回目のアルウィンだった。 初めてのアルウィンは2019年 松本山雅対横浜FM マリノスが優勝したシーズンで0-1でマリノスが勝利のゲーム。 マリノスはもちろん、松本山雅の田中隼磨や杉本太郎を見たか

          #信州ダービー

          完全主観で語るペジュリンのバルサへの帰還

          ヘクターがバルサに帰還。 不思議はない。 故郷に帰り、世界のビッククラブの背番号2を背負う。 良い番号をもらったね。 それがクラブの期待の表れなのか、 たまたま空き番号だったから、もらえたのかはわからない。 故郷の世界的ビッククラブ。 8歳から16歳まで過ごした愛しのクラブがバルサだ。 その後アーセナルのユースに移籍し、我々の子になった。 アーセナルでプロデビュー 偶然かデビューはアルテタとの交代でのデビューだ。 ワトフォードにローン。 アーセナルのDFの緊急事態

          完全主観で語るペジュリンのバルサへの帰還

          #信州ダービー

          10月30日 日曜日 13:05 この文字の並びを見ると胸が熱くなる長野県民は多いだろう。 J3 第31節 34節からなるリーグ戦の31試合目(コロナ等で変わる可能性もあるが。) 昇格を目指す信州の2クラブ 松本山雅と長野パルセイロ リーグ終盤のこの試合の頃には、もしかしたら昇格の可能性がなくなっているかも知れないし、逆もある。 8月25日現在 昇格圏内の2位鹿児島に 勝ち点差3の3位 松本 勝ち点差8の8位 長野 消化試合はどちらも21 残り13試合 まだまだ

          #信州ダービー

          マリノススタイル

          7日 川崎戦 私とケビィンのバースデーに誕生日プレゼントはなかった。 一緒に観戦した翌日誕生日の川崎サポーターには最高の前祝いになった。 さまざまなな事があり、アディショナルタイムは8分。 酷暑の中、王者フロンターレと首位マリノスの激しい闘いで、両チームの選手は頭も身体も疲労困憊だっただろう。 結果は足を攣ったジジェウの劇的はゴールでマリノスは勝点を落としてしまったわけだ。 現状の勝点や対戦相手を考えれば、アディショナルタイム8分で、引き分けでの勝点1と差が縮まらな

          マリノススタイル

          Good luck Leno #池袋バッカス #Arsenal

          神と呼ばれた漢がクラブを去りました。 クラブに貢献してくれた選手が去るのはどの選手でも辛いのですが、ユニホームを作るほどに愛した選手が去るのは一層堪えます… 苦しい時期にスーパーセーブで何度もチームを救ってくれたレノ。 マスクも素敵ながら、プレーでも魅せてくれ、SNSでは毎試合のようにレノ神という言葉が踊っていました。 絶対的守護神 当時は誰も疑いようのない事実でした。 そして、レノがいるにも関わらず、アーセナルはラムズデールを獲得します。 シェフィールドユナイ

          Good luck Leno #池袋バッカス #Arsenal

          #yfff 横浜フットボール映画祭

          午前中自分の試合を終えて、一旦帰宅した後に遠路東神奈川へ。 今年は6月開催の横浜フットボール映画祭へ。 観覧したのは ADIDAS vs PUMA 私たちの世代はスパイクといえば、このadidasとプーマとヤスダw 少し遅れてランバード、アシックス。 私が中学の時のNIKEのサッカーシューズなんてクソ重くて酷かったもんです。 昨日の試合でもスパイクはadidas。プーマのスパイクは足に合わない… 他にも色々観たいものはあったのですが時間の都合もあってこの作品にし

          #yfff 横浜フットボール映画祭

          繰り返される反省の日々

          先日2021年度の卒部式が行われました。 低学年の時は担当コーチに帯同し、大会で勝ちまくっていた学年でした。 エースが自己研鑽の為に移籍し、その他主力も家庭の事情等で退団と色々ありながらも(毎年のことですが)がんばりつづけていた学年。 小学生のサッカーで一番鍛えられる5.6年をコロナ禍で満足な活躍ができないながらも、明るく元気にやってくれました。 幼稚園児の時に、コーチとマンツーマンじゃないと練習に参加できなかった子。 学校は行けなくても、サッカーには通いつづけ、登校できる

          繰り返される反省の日々

          95年のサッカー旅❹

          ホワイトハートレーンへ。 スタジアム近くになると増えてくるサポーターをバスから眺め、テンションも上がり、ロンドン観光で疲れていた身体が覚醒していった。 キックオフ30分前にスタジアムに到着。 アーセナルに比べ、しょっぱいオフィシャルショップは人で溢れ、何も買えず… とりあえずキッチンカーで売られていた、くそしょっぱいハンバーガーとコーラで腹を満たし、2階席に着席。(East upper block J row2 seat253 £10) 芝の綺麗さに感動するかと思ったが

          95年のサッカー旅❹

          95年のサッカー旅❸

          ここからは私の黒歴史だ。 喉が渇いた私は博物館近くの店でコーラを買い喉を潤すと同時に今では考えられない行動に出ていたのだ… なんとトッテナムのキャップとスカーフを買い、微妙な日本語を発するクリンスマンのファンという店主に優しくマフラーを巻いてもらっていたのだ… いや、寒かったんですよ…ロンドン。 小雪ちらついてたし… そんな異教徒のコスプレをしながら、バッキンガム宮殿に到着するも、名物の衛兵交代式がないことを知り、また歩き出すも道に迷い、テムズ川のほとりにたどり着く。

          95年のサッカー旅❸

          95年のサッカー旅❷

          平成7年 9月25日 翌朝 同室のN君の提案もあり、市内観光バスツアーに参加しようと試みるも間に合わず、とりあえず徒歩で中心街へ歩き出す。 日本の街並みとは違い、『石の文化』に圧倒される。それと芸術だ。 今となっては、街のあちらこちらにアート作品のオブジェ等が見られる日本も30年近く前には街中であまり見かけることはなかった気がする。 ロンドンの街にはあちこちに銅像や彫刻が散見されるのである。 初の海外旅行ゆえに、街中を見渡してるから気づくだけでは? そうかもしれない。で

          95年のサッカー旅❷

          95年のサッカー旅

          95年 平成7年 2月24日(金) 大学4年 卒業旅行へ。 人生初の海外旅行への期待と不安を胸に集合時間2時間前に成田空港に到着していた。 人生初の海外旅行というより、人生初の飛行機での旅だ。チェックインから何から何までが人生初の体験。 もちろんこれから起こる事は全て人生初体験だらけの旅ということになる。 『地球の歩き方 イタリア編』と週刊プロレスを小脇に抱え、他のツアー客も集まり、ぎこちない会話をしていると時間厳守とパンフレットに書いてある旅行会社の人が15分遅れて到着

          95年のサッカー旅

          マリノスサポになった訳 #バッカス

          店内には数点、マリノスグッズが飾ってあるんですが、私個人は横浜にさして縁があるわけではありません。 先代は横浜市民ですが、サッカーに興味のない人でした。 私は途中挫折するも、中学入学と同時にサッカー部に入部しました。 当時兄は3年生で在籍しており、その2学年上、私の4学年の上に、後にJリーガーになる先輩がいたのです。 國學院久我山高校から日産FCファーム(当時2軍を関東リーグに読売やヤンマーは参戦させていました)を経て日産自動車に加入しました。 大学生の時にJリーグが

          マリノスサポになった訳 #バッカス