Haran 晩子のあたり前のおはなし(過ぎたるは及ばざるがごとし)について考えてみましょう。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
今から約2500年前(中国春秋時代)の孔子の一説です。
ジョギングのし過ぎで足首を痛めました。
筋トレのし過ぎで腕を痛めました。
ゴルフのし過ぎで腰を痛めました。
そして、「あーあの時に止めておけばよかった」って後悔したことがきっとあるのではないでしょうか。
これって、やり過ぎというより自分のことをよく理解していなかったということです。
個人によって体力や柔軟さそれに筋肉の付き方や質など、随分と異なります。
あの人ができるからと言って自分ができるとは限りません。またその逆のことも言えます。
このようにフィジカルへの過度の負担は、痛みに気づきやすいため、しばらく安静にすれば容易に修復できます。
メンタルへの過度の負担は、自分も周囲も気づきにくく、他人と比較して「努力が足らない」とか、「怠けている」とかそのように捉え、さらに自分を追い込んでしまってその結果、精神的に大きなダメージを受けてしまいます。
今の社会はとても生きづらく、「自分を見つめ直す」、「自己啓発」など「不安をあおる」ことを目的とした書籍販売やセミナーが数多く開催されています。
しかし本やセミナーに「頼り過ぎる。」と結局、自分を見失ってしまうことに。
「自分を見つめなおす」とは「器を知る」ことです。
「器を知る」とは他人と比較するのではなく、「自分ができること」、「できないこと」、「得意なこと」、「不得手なこと」、「自分が好きなこと」、「嫌いなこと」など、細かく自分を分析して「自分ってこんな人です。」って理解することです。
見ず知らぬ人にお金まで払って姓名判断をしてもらうより、自分のことは自分が一番よく知っているはずです。
ただ、自分のことを深く知ることから逃げているだけです。
自分のことを深く知れば、自分の「器の大きさ」が分かります。
「器の大きさ」に価値の差はありません。
なぜなら「器の大きさ」があなたの個性だからです。
自分の「器の大きさ」の8分目まで水を入れて下さい。
満杯にするとこぼれてしまいます。
器から水がこぼれることを「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言います。入れるものによっては、器が壊れてしまいます。
あなたの器があなた自身です。大切にお守りください。