トレーニングモンタージュ。
「とても勝てない。帰り道に考えたんだが、奴と俺とでは違いすぎる」
「どうするの?」
「わからねぇな…わからねぇな」
「あれだけ猛練習したのに…」
「いいさ、もともとクズさ。何にもねぇ男なんだ。そう思えばよ、気が楽だよ。負けて当たり前だ。例え脳天を割られたって平気だ。最後まで持ちゃ、それでいい。15ラウンド戦って、それでもまだ立っていられたら…ただそれだけで俺は満足だよ。ゴロツキじゃないってことを初めて証明できる」
先日Netflix配信のボクシングイベントが行われた。マイク・タイソンVSジェイク・ポールの試合。片や齢58歳の「アイアン」。片や若さ有り余る肉体系YouTuber。まるで「ロッキー・バルボア」(ロッキー・ザ・ファイナルの原題)が現実、そして現代風にフューチャーされて甦ったようだ。
試合は序盤スローモーながらも背中をうねらせて咆哮を放つタイソンに誰もがもしやと思わせてもらった。58歳の番狂せ。ロッキーですら達成できなかったモノクロを極彩色に塗り替えるパンチ。
夢は序盤だけだった。あとは徐々にスピードも落ち、ポールのゆるいパンチも被弾するばかり。そこで発動するそれ。
タイソンの代名詞。これは俺たちの涙腺が危なくなるヤツ。全盛期、師であり父同然でもあったカス・ダマトがタイソンの体に徹底的に染み込ませたそれとはすなわちピーカーブー。グローブの端を噛みながら顔を覆い隠すような鉄壁のディフェンス。日本語に訳すといないいないばぁ。
ピーカーブーから全身を左右に振り懸命にパンチを打ち込んでいく。全盛期からは程遠いながらも背中のあのうねりっぷりに痺れた。
ロッキー・バルボアもそうだった。年齢によって全身の関節はガタガタだ。スピードは言わずもがな。捻出できる唯一のファイトスタイルはパワー一択。そして、試合中何度もセコンドに亡き師匠、ミッキーが甦る。いつもとおんなじ。ラウンド間に耳元で怒声を張り上げる。
さぁ、ぶちのめしてこい!
ロッキー・バルボアの彼がそうであったよう、亡き師が降りてくる。カス・ダマトに捧げるようひたすらピーカーブーで立ち向かうタイソン。
しかし、映画のロッキーほど相手を追い詰めることは叶わなかった。2分8ラウンド、後半はポールに気を遣わせるぐらい息があがっていた。最後足が完全に止まったタイソンにポールが戦闘体制を放棄。そのまま判定勝ちとなった。
我々はどこかロッキー・バルボアをタイソンに追い求めていた。ポールのビジュアルが全然イケてないのも映画の対戦相手と被る。ロッキーやタイソンのほうが圧倒的に華もあれば様子がいい。
もしタイソンが一回でもダウンを奪っていれば、地球上が揺れただろう。歳を重ねれば重ねるほどノスタルジーを追い求める。我々がかつて熱狂した幻影を追い求める。
っは。
復帰を決めた彼に息子が訪れ、過去の栄光を再び取り戻そうとするのを止めるよう説得しにきたロッキー・バルボアでの名シーンじゃないか。
緊張する?
死ぬほど怖いよ。
見えないよ。
顔に出せるか。
我慢しなくても。
そうはいくか。
俺は父さんを恨んだよ みんな俺を見るとると父さんを思い出すりそんなの最悪だよ。
まさか。
そうだよ。
お前は立派だ。
父さんの子だから就職できた。付き合ってもらえた。やっと自分の力で前に進もうとしたら今度の試合だ。頼むから試合なんかしないでくれ。父さんも俺も不幸になる。
迷惑か?
ああ、少しね。
迷惑だけは。
かけたくなくなくてもかけてるんだよ。世間じゃ父さんは笑い物なんだよ。俺まで笑われる。それでもいいの?平気なの?
信じないだろうが赤ん坊のお前をここに乗せ持ち上げて母さんに言った。この子は世界一の人間になると。お前が成長する姿を見るのが最高に幸せだった。やがてお前は独立し自力で歩み始めた。
だがどこかで変わってしまった。人にバカにされても平気な人間に成り下がった。自分のふがいなさを影にかすむせいにした。分かってるはずだ。世の中バラ色じゃない。厳しくてつらい所だ。油断したらどん底から抜け出せなくなる。人生ほど重いパンチはない。
だが大切なのはどんなに強く打ちのめされてもこらえて前に進み続けることだ。そうすれば勝てる。自分の価値を信じるならパンチを恐れるな。他人を指さして自分の弱さをそいつのせいにするな。それは卑怯者のすることだ。
お前は違う!たとえ何があっても俺はお前を愛し続ける。お前は俺の息子だ。人生のかけがえのない宝だ。自分を信じなきゃ人生じゃないぞ。墓参りしろよ。
タイソンにロッキーを重ねていた我々はあのイベントにモヤモヤする前に自分が前に出るべきだった。敗北よりもヘタレになる方が怖い。こころのグローブの端を噛んで、さぁゴングを誰か鳴らしてくれ。
さぁ、ぶちのめしてこい!
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