キャプテンオブザシップ
こないだ百貨店の中を歩いていた時だ。シックスパッドの広告に長渕剛が起用されてた。そのノリはもはやトップアスリート然とした佇まい。おいツヨシ。もはやそっちのステージなのか。
ツヨシといえば上京したての頃よく聴いていた。そしてかぶれていた。元気が欲しい時。掻きむしるような失恋の痛みが全身を蝕んでいる夜。情けなくて女々しくて徐々に変貌を遂げていくツヨシの何かに憧れていた。
ライブに行くと会場前はプチツヨシで渋滞している。感情もファッションもここぞとばかりに解き放たれたパッションも。香ばしい。香ばしすぎる。上でもなく下でもなく右でもなく左でもなくただただ前へ突き進むようなファッション。誰もがキャプテンオブザシップ魂。
頭にペイズリー柄のバンダナ。
ケンシロウみたいな革ジャン。
足が短いのにパツパツのデニム。
自衛隊に体験入隊するかの如き編み上げのブーツ。
そして異常に弦が張り詰めたアコギ。
地方のモノマネパブからプチツヨシを総動員したんじゃないかというぐらいのツヨシコミュニティ感。アコギで日本政府転覆を画策してるんじゃないのか。というほどの熱量。ギリ学生運動だ。
かくいうぼくもプチツヨシファッションに身を包んでいた時期が確かにあった。存在した。どうかしてた。正直あれがクソいけてると確信していた。疑わなかった。疑うという選択肢すら持ち合わせていなかった。
穴があったら入りたいどころかむしろそれ以上。年賀状はツヨシのアルバムをフォトショで加工し、自分がツヨシってるヤツをみんなに配ってた。それをしないことが我慢できなかった。さいこうにクールだと信じていた。花の都大東京、あの頃の自分。
若い頃はゼンマイを巻きすぎたチョロQと一緒だ。真っ直ぐ進んでいるつもりでも車体は勢いに負けて右往左往。若さとはなんと儚く尊いものか。ぼくが今バーのマスターだったら。プチツヨシ然としたぼくが店にきたら心の中で吹き出すだろう。だが、このバカとならいい酒が呑れそうだと思うだろう。
シックスパッドの広告塔にまでステージを経続けたツヨシ。ちゃんとダサいツヨシが懐かしいのは何故だろう。自分もツヨシも女々しくて情けなかった。けれどもっとビカビカにバカだった。黒歴史も今となってはかわいい思い出だ。それに会場前のプチツヨシたち。全力でバカで決して嫌いじゃなかった。
もっと写真を撮っておくべきだった。ダメなカントリー歌手然としてたあの頃の自分。黒歴史肴に酒が飲めたのに。