そこが渡世人のつれぇところよ。
そん時オレな、「寅さんみたいになりたい」思ってん。
千原ジュニアのYouTubeチャンネル。ゲストのなだぎ武はそう言った。芸人・なだぎ武の成り立ち。人物譚を語る企画。いじめに遭ったり、引きこもりの過去がある芸人なのは多少知っていた。ただ彼の口から語られるこれまでの半生。そのまま映画にできそうなほど強烈な白と黒のグラデーション。一気に引き込まれていた。
中学でいじめに遭い、先生にまでいじられる毎日。本来多感である時期に絶望に浸った彼は早々に高校進学を諦める。人間と関わり合うのが恐怖だったからだ。卒業後町工場に就職するも、コミュ障を引きずった彼は歳の離れたおじさんたちの空気に馴染めなかった。半年して挫折し退職。そのまま実家でひとり自分の世界に閉じこもることとなる。今でいうところの引きこもりだ。
食事もひとりでとり、風呂も人がいない時間に入る。飲み物は家族と会いたくないから窓から外出し、コンビニで購入。あまり食べなくなり、やがては栄養失調で倒れる。このままでは終わってしまう。いけないと感じ一念発起。ひとり旅に出掛ける。映画「転校生」で有名なあの階段。そこをただ目指す。定食屋で牡蠣を食べ、ひどい食あたりに。ベンチで死にかけているとそこをひとりの女性が通る。その女性に救急車を呼んでもらい、病院で点滴を打ってもらう。女性は目覚めた彼にいう。「あんた、これからどうすんの?」と。
タクシーで連れてかれた先は旅館。その女性は旅館の女将さんだった。「今日はここに泊まっていき」。そのまま一晩旅館にお世話になる。引きこもりだった男なりに一宿一飯の恩義を感じた彼は、お礼にとお手伝いを名乗り出る。市井の人たちから富める民まで。森羅万象、旅びとが纏う風を誰よりも感じてきたであろう鼻が女将さんには備わっていたはずだ。彼の不器用ながらも真っ直ぐな人となりを咀嚼し、受け入れ、やがてはもう一泊することを勧める。
お手伝いの最中、料理長のまかないをご馳走してもらう。人の温もりに触れ、温かい空気を愉しみながら食事をするという当たり前の行為。人の親切に触れ、凍てついた彼のこころは融解をはじめていた。物心がついてからそんな過ごし方すら未経験だった彼は涙が止まらなくなる。悦びの涙は嗚咽となり食べながらずっと泣いていた。そこで料理長がいう。「そんなに俺が作った料理がうまいんか」と。
めちゃくちゃええ話やないか。でも自分はその時思った。今の自分がこの時のなだぎ武だったなら泣けないなと。きっと無駄に涙をこらえ、より変な空気にしていたはずだ、と。
先週CTの結果が告げられた。前回より癌は小さくなっていた。CT撮られて以来抱いていた不安と恐怖は霧散した。
ただし。前回のような前向きな感情が湧きあがってこなかった。抗がん剤のダメージは日々蓄積し、MPの上限は目に見えて下がる一方だった。
自分がリスペクトする人たちだったらどう振る舞うのだろう。なんとか他人の威光にすがろうと模索したこともあった。だがそれはイミテーション。自分という惑星。その置かれた環境、素材、座標で構築していかざるを得ないのだ。自分は自分らしさを失い、なお自分らしさを取り戻したいと出来もしないテラフォーミングを志していた。
できなくなっていくものを数えていた。気が付かないうちに。ただ過ぎていく時間を数えていた。誰も見ちゃいないのに。
暗中模索する中、なだぎ武のあの一言が刺さったのである。「寅さんみたいになりたい」と。
ふらふらと日本中を旅しては団子屋に帰ってきて、人情味溢れる土産話に花を咲かせる。そうか。ひとのこころに花を咲かせる花咲爺さんみたいなもんじゃないか。散っていく花びらを数えてどうするんだと。お前が憧れたあのおじさんはそんなことはしないぞ。少なくとも満男の前じゃ虚勢を張ってるはずだ。
甥っ子の誕生日プレゼントを考えたりすると、たまらなく温かい気持ちになる。より笑顔になりそうなものを。よりキラキラした気持ちになれるものを。彼の瞬きにあやかっておじさんは元気がもらえてきた。ギフトを。闘病生活に力強いギフトを。
そうだ。あのおじさんは困った時に弱音を吐かなかったな。時に自分もそう呟いてやり過ごそう。向かい風も。からっ風も。長く感じる夜のとばりも。
「そこが渡世人のつれぇところよ」と。