死にたいくらいに憧れた。


落合博満が巨人にFA移籍した当時のドキュメンタリー本を読了した。


当時知の巨人と言われた吉本隆明は糸井さんとの対談か何かでオレ流に対してこう言わしめた。


「我々の世界で言ったら落合博満は王長嶋よりも遥か上の存在」


純粋なアスリートしての身体能力は長嶋茂雄の後陣を排したであろう。また王貞治が持ち合わせる武士のような精神性とは少し毛色が違う。あくまで究めたい球道は落合博満一代だけのオレ流。


大人になってこの本が再び焦点を当てている長嶋茂雄への憧憬、愛情、報いたい気持ち。そして移籍した巨人で何をすべきなのか。どう振る舞うべきなのか。そこに興味が湧いた。


当時プロ野球は地上波ゴールデンタイム。巨人戦のみが全国放送を担っていた。長嶋茂雄が左翼に綺麗な放物線を描いた天覧試合までは実は六大学リーグに人気、観客動員共に劣っていた。それがテレビという娯楽とお金を生み出す魔法の箱。時代の寵児と利害関係が合致したのだった。


今よりも遥かに権力そのものを握っていたナベツネオーナー。政界とも経団連ともズブズブの。彼が白と言ったら白。彼が黒といったら黒。

「たかが選手が」

かつて信じられない暴言を吐いたナベツネだが。下々の皆さん、我々は華族であって風下に立つ庶民ではないんだという頑な意思表示にもみえる。


当初は原辰徳の衰えもあり、巨人の4番は日本の4番というプロ野球界の考えの下。より強く、より武将のような精神的主柱をナベツネ、長嶋茂雄のどちらも欲した。落合博満という強烈な毒を以て現状に甘んずる選手たちの目を醒ませたい。


移籍一年目は怪我が常に付き纏うシーズン。あの頃通勤電車で最速の情報を得る手段はスマホではなく夕刊紙やスポーツ新聞。期待されていた打棒が振るわずその格好の餌食となっていた。


各紙が憶測も含め筆を走らせた。中年の星はすっかりカタルシスの標的になっていた。4億500万。高年俸に加え、惚けて本音を語らない姿勢に練習しないレッテルも貼られた。巨人の4番は打てば賞賛され、打たなくても尚一面を賑わす。


およそ長嶋茂雄が求めた彼への要求は原にないそのシビアな球道精神。松井秀喜を競合の上獲得し、将来の4番を託す計画を新監督してのビジョンの一つに据えた。それに対し誰よりも適任なのが誰であろう他でもない3度の三冠王、落合博満である。


選球眼、取り組む姿勢、シーズンを通しての自分の在り方。対戦相手との駆け引きといった高度な領域も他の追随を許さない。


落合博満からしか見えぬ景色。頂に到達しえた者のみが獲得するであろう経験。時代の風を纏い、常にスーパースターで在り続けた長嶋茂雄だからこそ松井秀喜に伝授したい球道の巻物があったのだ。


およそアスリート的なことよりもオレ流が培ってきたデジタルじゃない凄まじい哲学、情報、スキル。3度の最高峰登頂を経験した球界唯一の男しか見えぬレイヤー。その背中。それを松井秀喜にインストールさせてやりたいのだ。


三割当たり前のバットには死球が伴う。40になって怪我の治りも確実に遅くなっている。だが、手は抜かない。バランスがよく様々な栄養が摂れる鍋を遠征先では好んで食べた。


栄養補給と疲労回復。この両輪がうまく回ってこそのパフォーマンス。時間があればとにかく睡眠に充てた。今でこそ大谷翔平が実践しているアスリート理論だが、科学的な取り組みもまた彼の下地にはあったのだ。


国民的行事とまで言われた10.8決戦。セ・リーグで勝敗数全く同率のチームが最終戦で雌雄を決するというこのミラクル。のちにメークドラマ、メークミラクルといったミスターワードのきっかけともなった。


落合博満がその経験から裏打ちされたホームランで先制点。その後内転筋を痛めて負傷退場。有名な立浪の炎のヘッドスライディング。器用であるはずの彼が左肩を脱臼してまで。この日に生じた神プレーだった。


斎藤、槙原、桑田の三本柱を投入すると決めて臨んだ大舞台。その栄光の裏にはスコアラーが中日のエースを裸にするほどのクセを見抜いていた。


投げる時にグローブが立つ角度によって球が決まる。それを狙い撃ちすればいい。本当はもっと早くから確信を得ていたが、大事な試合が来るまでとっておいた方がいいとの判断からまさかのここでもミラクルが生じてしまう。凄まじき紙一重。


1年目は怪我に泣き、本来のパフォーマンスとはいかなかった。だがこの2年目、3年目の彼は復活してみせた。いろんな著書やイメージでこの頃の落合博満はだいぶ衰えたなと感じていたが、数字だけで見れば40代で残した巨人時代のキャリアはレッテルや汚名を払拭したと呼ぶに相応しい。


当時35超えればユニフォームを脱ぐのが当たり前の時代。引退した解説者やOBはいう。落合は衰えた、と。でも彼はいう。お前ら40代でこの数字出せんのかと。残したのかと。説得力は自明の理。


3年目には松井秀喜がその使命感に目覚め、落合博満がチームにいる内に4番の座を奪いたいと明言。彼もそうであって欲しいと真正面から向かい合う背中をみせた。シーズン中に4番の座は奪えなかったが、その球道精神に目を凝らし、盗めるものは盗んで自身の成長に結びつけた。


ナベツネとの不仲が生じ、フロントからも雲行きが怪しくなってくる。清原和博をFAで獲得する話も入ってきた。松井を成長させた。鈍っていた清原の打棒を磨きたいとも落合博満は考えていた。しかしポジションがかぶる。


代打の切り札になって欲しいという意見が飛び交う中、フル出場にこだわる彼は他チームに出場機会を得るため退団を決意する。


群れない。媚びない。選手に手をあげない。「照れ屋でシャイな所と横柄な所が同居している」は星野仙一の落合博満評。


監督としても屈指の名将であり、今は孫にメロメロのひろみつおじいちゃん。


オレ流の世の中に抗う姿勢に影響を受けたし、ドラゴンズファンとしても監督・落合博満にもたっぷりと幸せで豊潤な時間を感受させてもらった。完熟マンゴーみたいな。食べたことないけど。


現代に現れた武士然とした姿に入院中何度も溜飲を下げた。何度も。何度も。いきなりの余命宣告。僕が落合博満ならそれでも神主打法で立ち向かなきゃいけない。


そして一昨日の火曜。今後の方針への面談。新たな余命宣告だった。正直にゆってください。どのくらいですか。


「3ヶ月前後です」



160キロの球がヘルメットを掠める。どうだ。どこか折れてないか。どうやらまだバットは握れているぞ。お前は退路は立ったはずだ。でもバットは振れる。頑張れ。


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