Stand by me & you


ガキの頃、気がついたら両親が離婚していた。小2の夏休み。当時住んでいた名古屋から母の実家がある藤枝へ。何も告げられないままひと夏をそこで過ごすことになった。


夏休みも終盤に差し掛かった頃、母はマグカップを買いに行くよと商店街の古ぼけた食器屋に連れてってくれた。好きなマグカップをひとつ選んでいいよと。その時の少しだけ憂鬱そうで物憂げな表情からこのまま名古屋にはきっと帰らないんだ、と子供ながらに思った。


いつもなら派手なロボットモノか戦隊モノの柄を選ぶのにきっとやってくるであろう転校生としての自分を憂い、黄色の地味なマグカップをチョイスした。自分でもらしからぬチョイスにやってくるであろう緊張に少しだけ弱気になっていた。


事実、暫くして母から離婚した旨を告げられた。不仲以外の詳細はよくわからない。大人なのだからお互い色々あったのだろう。ただ、父は周りが引くほど僕のことを溺愛していた。物心ついてからたったの一度も叱られたことがなかった。


息子の気持ちを慮っていたであろう母は遠回しに、それとなく父と暮らしたい気持ちを尋ねてきた。ここで兄妹離れ離れになるのも母にとっては辛いだろうし、近所の友達もできたので藤枝で暮らすことを選択した。


父は相変わらず息子を溺愛していた。時折会いに来ては回らない寿司屋で大好物の赤貝ばっかり食べさせてくれた。近所の子供が買ってもらえない超合金やらラジコンやら好きなものを買ってもらっていた。


だが、妹は連れて行かなかった。可愛いざかりの6歳〜8歳。むしろ父ならぞっこんラブはこのストライクゾーンの娘だろう。素敵なプレゼントを買ってもらえるのが嬉しかったにせよ、だんだんとガキなりに恥ずかしくなってくる。


妹は赤貝も食べていなければ、お人形さんも買ってもらえていないのだ。仲がいいわけでもないのに、本能的に自分が兄であることだけは痛感していたし、恥じる気持ちを隠せなくなっていた。あれ?オレダサくねぇのか、と。


小4のとある時。父が会いたがってると母がいつもの様に言ってくれた。初めて断った。もう会わないと言った。母は理由はきかなかった。それから一度も父とは会っていない。


兄としてわけのわからんケジメをつけたつもりだった。体裁を。メンツを。でも本当にすべき対処は妹も一緒に連れて行って欲しいが正解だった。いつもプレゼントを抱えて帰ってくる兄に何も言わなかった妹。


父に少しだけでもかまってほしかっただろうに。いまでもその時のことを悔いている。父もそれなりに傷ついたであろうし、妹のために違うチョイスがあったろうにと。いつもふとその時のことを思い出す。


先月は体調が芳しくなかった。疲れやすく咳が止まらずその度に腹痛を発症していた。謎の熱で当月2回目の抗がん剤クールは延期。その後も体調は上向くことはなかった。


月末CTの診断結果。肺がボロボロだと。肺炎も起こしていただろうし、とにかく新たな治療すべきだと。翌日レントゲン撮ってもらい、呼吸器内科の先生と面談。


そこで告げられたのはやはり肺がかなり悪いと。そこで測った血中酸素飽和度も90%。これは溺れているひとと遜色ありませんと。明日にでも入院して下さいとのこと。そこまで厳しい状況下にあるとは知らずに。入院の手続きをし、翌日年明け以来の再入院。


そして今日は夕方から母、妹、彼女を連れて面談。そこで告げられたのはまさかの余命だった。一年は持ちません、と。


月単位で病状が変わっていくだろうしどう変化するかはハッキリわからない。ただ、現状はかなり厳しいものだと。癌が発覚してから現実を直視せざるを得ない毎日だった。そして新しい現実。


部屋の中の重力が倍になった気がした。詳細な部分はよく憶えていない。その時1番辛かったのは母より先に逝ってしまいそうな現実だった。


親不孝者できかんぼうだったのに最期これではあまりにもバカ過ぎるだろう。その現実に気が狂うかと思った。


面談を終えて重い空気のまま、少しだけ談話室で話をした。退院後どう生きていくのか。まだショックから抜け出せない自分は上の空だった。


ただ、胸の奥から張り裂けんばかりの想いが全身を駆け巡っていた。ふつふつと。ほとんど反り返りで母に本音も打ち明けてこなかった自分が。たった一言を打ち明けたかった。言えなかった本音を母にきいてもらいたかった。


黙ってみんなの話に耳を傾けるだけの母の手を握りこう打ち明けた。そして涙が溢れた。

「かぁちゃん、こええよう」

父に会わないと告げた日、自分の身体と魂が別々になった感覚があった。その日以来心根を母に打ち明けなくなっていた。でも今日は魂がそれを我慢できなくっていた。
何度も手を握り何度も呟いた。

「かぁちゃん、こええよう」
と。

握り返してくれた母の手はただただ優しかった。そうか。こんなにも優しいものだったのか。もっとはやく握っておくべきだった。また一つ悔いが残った。


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