無為自然
老子 第四十三章
現代語訳
柔訳
私の最近の悩みは人間関係が中心で、問題を解決するために行動するのではなく、悩んでいることを分かち合うことを選びました。この選択ができたことで、自分や他人を傷つけない選択肢を探すようになっています。
根本的な問題ですが、悩んでいるときは何かが足りないことが多いです。今までは、その「何か」がわかるまで静観することができず、すぐに結果を求めていました。
しかし、答えを急ぐと問題を見落としがちになり、つい自分の望む答えを求めたくなります。そのときに、割り切ろうとすると割り切れない事がみえてきます。
これまでは、それが焦燥感につながり、悲しみや怒りにつながることが多く、こういうときこそ、先入観のない柔軟な姿勢で物事を俯瞰できず
ここで重要なのは、変化とは自分が望むものだけでなく、これまでの自分を更新するためのものだということ。
ただし、物事を割り切ろうとすると割り切れない事がみえるというのは、本質に近いんじゃないかと思います。
割り切れないことが黄金比や円周率にみられる螺旋の躍動につながることを数学や物理学を勉強して気づきました。
ここから施設時代の回顧録です
ある日の自助グループのミーティングのテーマが「捕まった思い出」でした。私は思わずセクレタリー(司会)に「捕まっていない人もいるからテーマを変えるように」と伝えました。
そのセクレタリーは「自分が話したい内容」という事、そして「仲間が捕まった時の話を聞きたい」と言って、ミーティングを続けました。私はそれを聞いて腹立たしくなり、自助グループに参加し続けて、初めて「パス」しようか悩んでいました。
ミーティングの最中、仲間の話に耳を傾けず、それが私の意思表示だと頑なになりながら時間を過ごしていました。そして、話をパスする仲間がいるたび、心のなかで、そのセクレタリーを責め立てていました。
ふと、ミーティングの休憩中に仲間が話しかけてきました。「私が続けていた事を参考にしてワークブックの感想を書き続けていたら、色々気づく事があって感謝している」と。
私のほうこそ、話しかけてくれた仲間に感謝しました。きっと、私がミーティングの時間に囚われていることを察したのだと思います。
その話を聞かなければ、きっと今までと同じ選択をして仲間や自分を傷つけていたはずです。
私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷