見出し画像

無為自然


老子 第四十三章

天下之至柔、馳騁天下之至堅。無有入無間、吾是以知無爲之有益。不言之教、無爲之益、天下希及之。

現代語訳

この世の最も柔軟な物が最も堅固な物を思い通りにする事が出来る。

また決まった実体を持たぬものだけが、本当にわずかな隙間に入り込む事が出来る。

私は、この事によって無為である事の有益さを理解しているのだ。

言葉に頼らない無言の教えと無為である事の有益さに匹敵するものは、この世にはほとんど無い。

柔訳

本当に優れたものとは “無為”つまりことさら特別な事は何もしないという事です。人はとにかく “何かをやりたがる” 性質があるもので、何かをやる事に満足し何もしないと罪悪感さえ覚える人もいる。

しかしそれは、大きな視点からみれば、単なる自己満足に過ぎず、かえって状況を悪くする事もある。

為政者が世の中を良くしようと思ってした事が、かえって裏目にでて、社会を混乱させたなんて例は歴史に後を絶たない。

他人にされるおせっかいは迷惑だが、自分がするおせっかいには気づかないのが人間です。

 私の最近の悩みは人間関係が中心で、問題を解決するために行動するのではなく、悩んでいることを分かち合うことを選びました。この選択ができたことで、自分や他人を傷つけない選択肢を探すようになっています。

 根本的な問題ですが、悩んでいるときは何かが足りないことが多いです。今までは、その「何か」がわかるまで静観することができず、すぐに結果を求めていました。

 しかし、答えを急ぐと問題を見落としがちになり、つい自分の望む答えを求めたくなります。そのときに、割り切ろうとすると割り切れない事がみえてきます。

 これまでは、それが焦燥感につながり、悲しみや怒りにつながることが多く、こういうときこそ、先入観のない柔軟な姿勢で物事を俯瞰できず

自然な流れに身を任せていない

まだ準備ができていない

悩んでいる状態がつらいので衝動的に行動する

後悔する
or
結果を受け入れられず抵抗する

 ここで重要なのは、変化とは自分が望むものだけでなく、これまでの自分を更新するためのものだということ。

変化の最中=大変

 ただし、物事を割り切ろうとすると割り切れない事がみえるというのは、本質に近いんじゃないかと思います。

 割り切れないことが黄金比や円周率にみられる螺旋の躍動につながることを数学や物理学を勉強して気づきました。



ここから施設時代の回顧録です



 ある日の自助グループのミーティングのテーマが「捕まった思い出」でした。私は思わずセクレタリー(司会)に「捕まっていない人もいるからテーマを変えるように」と伝えました。

 そのセクレタリーは「自分が話したい内容」という事、そして「仲間が捕まった時の話を聞きたい」と言って、ミーティングを続けました。私はそれを聞いて腹立たしくなり、自助グループに参加し続けて、初めて「パス」しようか悩んでいました。

 ミーティングの最中、仲間の話に耳を傾けず、それが私の意思表示だと頑なになりながら時間を過ごしていました。そして、話をパスする仲間がいるたび、心のなかで、そのセクレタリーを責め立てていました。

 ふと、ミーティングの休憩中に仲間が話しかけてきました。「私が続けていた事を参考にしてワークブックの感想を書き続けていたら、色々気づく事があって感謝している」と。

自分が変わろうとしている事をやめてはいけない
大事にしている事を理由を付けて壊してはいけない
自分の選択を人のせいにすると自分が惨めになる

 私のほうこそ、話しかけてくれた仲間に感謝しました。きっと、私がミーティングの時間に囚われていることを察したのだと思います。

 その話を聞かなければ、きっと今までと同じ選択をして仲間や自分を傷つけていたはずです。

社会はうつくしい

そのままでも醜くても…不完全でも…

動くことはそれ自体がうつくしい
揺らぐからうつくしい

だから安心してそこに出てきてほしい

世界の見方は自分自身が更新するのだ

「閉した心」より

痛いのは生きているから

転んだのは進もうとしたから

悩んでるのは変わりたいから

逃げたいのは戦っているから

今つらいのは後で幸せが待っているから

「名もなき詩」より

相対論においても量子論においても、宇宙が分割できぬ全体であることを前提して考える方が、実在の一般的本性について、はるかに秩序立った見方ができることが示される。

われわれの一般的世界観は、それ自体が思考の運動全体であること、そしてそこから流れ出る諸作用の総体は、それら自体としても全体の関連においても、あまねく調和しておらねばならず、その意味で世界観は自らを発展させる力を持たねばならぬことである。

そのような調和が可能となるのは、世界観自体が果てしない発展、進化、披き出しの過程に参加する場合しかない。

なぜなら、そのような過程は、あらゆる存在の根拠たる普遍的過程の調和的部分だからである。

人間の心が調和的に働くことは、秩序ある安定した社会を可能にする助けとなるだろう。

デヴィット・ボーム


私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷