絵の天才と言われ続けて育った。私の精神はおかしくなっていった
小さな頃から絵を描くのが好きだった。
自分から描こうと意識して、初めて絵を描いたのはたしか3歳のころ。
幼稚園児の頃にはプリキュアのイラストをクッキングシートに透かしてなぞり絵をしたり、あらゆるキャラクターの模写をしていた。
年長さんの頃、卒園祝い用のマグカップに各々自画像を描くというイベントがあった。皆の絵は顔のパーツがよく分からなかったり輪郭という概念が頭を貫通していたり、自由な"幼稚園児らしい"絵であったが私の描いた絵は完全にプリキュア似だった。(自画像と言われてるのに)
もちろん先生は提出された絵がいくらプリキュアであれど上手くかけた事を褒めるほかないので凄く褒めてもらったのを覚えている。
小学生になるとスケッチコンテストの最優秀賞を毎年取るようになっていた。この頃から自分はもしかしたら絵が上手いのではないか?と自覚し始めた。
小学3年生になると空前のコピック&お絵描きブームが起こり、絵が上手くてコピックを沢山持っている子の周りに人が集まるようになった。
私は物凄く負けず嫌いな上に絵が人より描けることしか取り柄が無かったので休み時間はもちろん、学校以外の全ての時間を絵に注いだ。
お小遣いを貰う度にコピックを買いに出かけた。
休み時間になると皆が私の机の周りに集まり、私の筆致を目で追い、褒めた。それだけが私を肯定してくれていたし、居場所をつくる唯一の手段だった。
小学5年生になると、私と同じくらい絵が上手い親友ができた。絵柄が私の描くものとは違って、それぞれに"ファン"がいた。追い越されるのが怖くて一層絵に浸かった。この頃はペンタブやiPadを持っているのがすごい!とされていたけど小学生にはあまりに高価なもので私は手が出せなかった。
親友はペンタブを持っていて、デジタルで本格的な
絵を描き始めていた。
周りから人が居なくなるのが怖かった私は狂ったようにスケッチブックに絵を描き続け遅れを取らないように必死になった。私と親友の絵が上手いことは、学年では"当たり前"の認識になっていた。
中学生になると今までよりは絵から離れたものの、相変わらずスケッチコンテストでは最優秀賞を取っていたし、出したコンクールは必ず何らかの賞を取っていた。クラス旗は私の案が採用され制作の総指揮をとった。卒業式の黒板アートや合唱コンクールのポスターも手掛けた。
1年では親友と美術部に体験に行ったが、その時提出した絵で同級生、先輩や先生を驚愕させたのを覚えている。
よく言われる、"絵が上手いやつ不登校になりがち""絵が上手いやつ家庭環境悪いがち"は結構そうで、案の定2年の時、私も不登校になった。
グループに属するとか、放課は交互に席に行き合うとか、好きな友達とだけトイレ行くみたいな中学生女子のキショい風習に無理して適合していたのでガタがきたような記憶がある。
しばらくは絵のことも忘れて自堕落な生活を送った。
まあ鬱だったし、生活リズムもおかしくなって、YouTubeも見飽きた頃、"そういえば自分絵かけるじゃん"とふと思い出して、手に入れたiPadでまた狂ったように絵を描き始めた。
この頃にはTwitterで絵の依頼を受けて月に8万くらい稼いでいた。
中学3年生になって復学したが、登校日数が足りなすぎるせいで進路選択にはかなり苦労した。
もう私には絵しかない。ここまで来たら人生全ベットしてやろう。と思い、最難関国公立美大、東京藝術大学を目指すことに決めた。
また中2の二の舞になるのは勘弁だったので誰も知り合いが居ない離れた場所にある、カトリック系のプチお嬢様高校に行くことにした。
美術部に入り、高校1年の時の文化祭ではF15号という畳くらいのデカさの油絵を描いた。
人生初の油絵だったが小手先の器用さでそれなりの出来の作品が出来た。下描きの段階から先輩や同級生、居合わせた他部活の子らに名指しで褒められていた。
文化祭では、1年だったが展示のセンターを任され私の絵の前には常に多くの人が集まっていた。
高校では、要らない教科が多すぎて予想以上に絵に割く時間が無かったのが不満で6月時点で、今年で辞めようと決めていた。
なので生活態度はハチャメチャだったし美術部の顧問(生活指導兼任)からは芸術肌のキチガイだと思われていたに違いなかった。
高校を辞める時、有難い事に部活の子を始め色んな子からお手紙を貰った。やはりこの時も私は絵の上手さ(それっぽいものを作り出せる器用さ)だけで自分の居場所や憧れられる虚像を創り出していたのだなと感じた。
高校をやめて美術予備校に本格的に通い始めた。
基礎高にあがっても周りに誰一人と私の絵を上回る人は居なかった。藝大卒の講師は保護者会で「この子は絶対に藝大に受かります、そういう子です」と母親に伝える姿を見て、嬉しい気持ちもあったが、"器用さだけで凌いできただけの自分には才能なんて無い"という考えが脳みそを縛り付けていた。
専攻決めの時に油画科を勧められたが、
私は現役で受からなかったらきっと自分に価値を見いだせなくなって、死を選ぶだろうという確信があった。今まで自分が作り上げてきた川上天という存在・居場所・名声が "不合格" そのたった3文字で全てぶち壊れるのだ。
それに私には才能なんて無い。人より絵と向き合う時間が多く、手先が器用なだけだ。そういう事を認めたくはなかったが自分がいちばん良く分かっていたので、油画科を選んだところでネタが尽きるのは早いと判断した。
軽薄な絵しか描けない人間はAIにでも取って代わられるべきだろうと思うのである。
私は芸術学科に入って美術とは何か、人生のほぼ全てをかけてきた絵の本質とはなんだったのだろうか、自分は何が好きなのか、まず知る必要があると思ったしそうでないと自分が納得する絵は死ぬまで描けないだろうと気付いた。
そして私は今年東京藝大を受ける。
油画科に落ちたら死んでいたはずの人生、もう何も怖いものは無い。