[日韓SDGsエピローグ] 誰も取り残されない世の中に向けて
みなさん、こんばんは!
ひと月ぶりの投稿になってしまいましたが、ソーシャルバリューで一つになる世の中を夢見るbaroです。
小グループでの国際交流を企画し運営しております。現在はSDGsの実現に価値をシェアする日韓市民のオンラインコミュニティを作っています。
そのコミュニティなんですが、2021年4月にスタートしてもう6回目を終え、7回目を迎えているところなんですね。コミュニティ語られた話がどうしても共有しないではもったいないなと思って、このようなエピローグの形で投稿することになりました。第6回グループ活動のエピローグになります。
今回取り上げられた記事についてはシンプルなマガジンの形でバックナンバーの方にアップしていますので、こちらの「活動バックナンバー」からご覧ください。日付は7月1日です。
このエピローグでは記事以外に現場で語られたことの中で、いくつかbaroの印象に残っているものをピックアップしてお伝えします。
今回は韓国のソウルや済州島、慶尚南道と、日本の福岡、東京からご参加いただきました。集いを重ねていくにつれて感じることなんですが、もはや空間の制約はなくなっていくのではないかと思うようになりましたね。
そもそも「SDGs」って何だろう
来ましたね。SDGsへのそもそも論です。最近、「ESG(環境、社会、企業統治)」という言葉ととても流行っているようにあちらこちらで耳にすることばではないかと思います。SDGsへの解釈や説明はいろいろとありますが、私はこれを一言で「たった一人も取り残されない世の中に向けた価値目標」と理解しています。なので別にSDGsという言葉を使わなくても、知らなくても誰かがこの世界で取り残されないよう頑張っている方であれば、すでにSDGsを実現されていることになる思います。さて、このような観点から今回の記事やお話を見ていきたいと思います。
今この瞬間も誰かは取り残されて生きている
今回は初めて「人」ではなく動物の「犬」の話も出てきたのです。犬も治療を受ける際には受血が必要な場合多いらいく、その血液の確保が常に課題になっているとのことでした。人間のような献血文化もなくいつも不足しているため、血を提供する犬を「供血犬」と指定して一生、献血をさせていることが分かりました。供血犬たちは血を抜かれるためのみに生まれていたのです。韓国在住の日本人のNさんが韓国の記事から紹介してくれたのですが、実は同様の問題が日本にもあることも分かりました。以前、韓国では「愛玩動物」と呼ばれていましたが、彼らは人間の「おもちゃ」ではないとの認識が拡散して呼び名を正すムーブメントがあり、その結果、ペットのことを「伴侶動物」と呼ぶようになりました。それほど、ペットは我々人と密接な関係を持って生態系をなしている存在なんでしょう。
一方、人の話も欠かせません。
九州のほうで新聞記者を勤めるMさんは以前、地方議会で見聞きしたことをシェアしてくれました。それは、女性議員たちが遭っている「イジメ」のようなものでした。ポストも与えられずに年寄りの男性議員からは無視される環境でしのいでいる現実の話でした。世界は前へ前へ進んでいるのに政治だけが追い付いていない状況への問題的として受け止めました。実はSDGsは政治のレベルで推進されるものとして生まれたのです。なのに地方のレベルとはいえ、その政治の現場が正常に働いていないという現実は改革をして正していくべきだと思いました。その例として韓国では野党側から「政治家も適性・資質テストを受けてなるべきだ」との言説が出てきて波乱を呼び起こしています。政治家はもともと「立候補ー選挙ー当選」という仕組みでなるものですが、それにテストを加えるとのことです。面白いことは、この一見「話にならない」案が一定の支持を受けているという事実です。それほど、今までの「立候補ー選挙ー当選」というプロセスに正常に機能しなかったことに共感意識を持っている人々が多いということでしょう。最近ライフスタイルが日常化、ローカル化、個人化することにつれて「地方政治の役割」も再び注目を浴びているのですが、これを監視して本来の機能を果たせるよう、日韓で知恵を集めてみるのも面白いと思いました。
どうやって始めるのか、それが知りたかった
後付けですが、振り返ってみると今回の大きいトピックの一つは「始めること」にあったと思いました。韓国の済州島でキャンプ型ゲストハウスを運営しながら若者たちに地域の農場で働いてもらうことによって、地域の農場には若くて新しい風を吹かせ基盤のない若者たちには基盤になるGJC(グローバル済州文化協同組合)。このGJCに勤めるMさんの話が印象的でした。GJCは特に韓国に基盤がない外国人たちに基盤になってあげる存在意義があるとの話でした。縁のない新しい地で何かを始めたい若者に一番必要なのは、安全に寝られて人々とつながれる「居場所」や「働くチャンス」ですが、GJCはまさにこの二つを地域とつながって提供する仕組みを持っているところでした。「若者はなぜ始められる場がないんだろう」という疑問からスタートしたとのブランドストーリーもありました。人を取り残さないことには、社会が「基盤」として機能すべきだとのことを思い知らせました。
「始め方」としてはTさんの話もとても印象に残っています。
その名もSDGSというもので「そうじdeごきげん散歩」の略です。これは簡単にいいますと、それぞれ自分の生きる場所でゴミを拾ってフェイスブックにその様子をあげましょう、とのことです。こうすることによって世の中のあちらこちらでゴミを拾う人々がいて、その人々がまた一つとしてつながっている、というような形を生むのです。これを企画したTさんは「娘が生まれてからどんな世の中を残してあげるかについて悩んでいた。そのあげく、自分から始められることからチャレンジしていくことが大事だと思った」と語ってくれました。私たちは何か変化をもたらしてくれるのは国とか企業などの政策であって、個々人ではないとの認識を持ちやすいですが、この認識を覆して孤立しない形で実践につなげる企画だったと思いました。「今の世の中の形は、そこに生きる個々人の小さな考え方が集まりに集まって形づけられたものである」といった東大教授の安冨歩さんの言葉も思いだしました。
次ある集まりに参加を希望する方へ
以上、日韓SDGs市民交流の第6回グループ活動のエピローグでした。SDGsをテーマに国際交流を行うこの小グループに参加を希望される方はこちらのURLリンクをご確認ください!随時、現在も募集中です!
人の話を集中して聞いているbaro
お読みいただきありがとうございました。