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ごめんなさい、許さない、

 そういえば母にカミングアウトをした。ぼくは男のひとが好きだから彼女とか結婚とか一生ないよ、ごめんね。話すたびに彼女は結婚はとしつこいのがばからしく感じて、心の内を話したというよりかはどちらかというと意地悪なカミングアウトだった。絶望すればいいと思った、というよりも、母は再婚して母たちの人生を幸せに送ってるんだから、ぼくがどんな性質をもっていたって正直どっちでもいいだろう、絶望すらしないだろうと思った。
 子どもの頃、ホモは気持ち悪いと母に何度も言われた。ぼくに向けて言ったわけじゃないのに、あなたは違うよねという確認作業に近いものを感じてすこぶる居心地が悪かった。そのころはもうじぶんのセクシャリティを自覚していたので、そういうの最低だと言い返していたけれど、いや言い返していたからその確認作業は何度も行われたのかもしれない。繰り返されるたびに苛立ち、ごめんなさいと思った。許さないと思った。
 もし大好きな友だちが同じ立場で親に同じことをされていたら、最低な親だな、ごめんなさいとか思わなくていいよ、あなたの怒りは正当だよ、許さなくていい、そう言うと思います。だけど当事者になると、親目線の不安や嫌悪や受け容れたいけど受け容れられないみたいな複雑な気持ちも理解できるし、自分自身に対する嫌悪、そもそも同性愛に対する嫌悪もあるし、でもなにも悪いことしてないし、ぼくらしく生きたいし、世間一般の普通の幸せだって欲しいし、それを親に見せて安心させてあげたいし、でもそれは裏返って苦しいことだし、ぼくにとっては確実に見えていて、痛いし、苦しいし、だけどふたをして見えないふりをするしかないものだった。だって見えてしまったら、認めてしまったら、引き返せなくなるから、痛いのも苦しいのも本物だけど、本物がもっともっと本物になってしまうからです。

 なに、聞こえなかった、もう一回言って。そう、あんた女と付き合うのがめんどくさくなったんじゃないの。

 そうだったらよかったんだけど、どうしたってそうじゃない。別に理解してもらいたいわけじゃない、結婚も孫も一生ないってことを言いたかった。ぼくだって別に望んで男のひとが好きなわけじゃない。残酷なこと突きつけてごめん、でもぼくの人生だからとやかく言わないで欲しい。

 わかった、ある程度気付いてた、あんたが幸せになるならそれでいい。

 ずっと許して欲しかったんだなと後から気付きました、母が大好きなお父さんの苗字が途絶えること、母には孫という存在が一生できないこと、望まれる普通の幸せが手に入らないこと、お母さんにくらい、すべて許して欲しかった。それから、何度も傷つけられたことを許したかった。
 あるある論争ですが、カミングアウトはべつに正義じゃないです。ぼくのこれだってぼくにとっては成功だけど、母にとっては大きな傷です、そういう意味ではぼくにとっても失敗だし、ただ亀裂が入らなかっただけよかったです。ぼくはいま目の前にある壁たちのひとつを壊すのに、母のことを許すか決別するかのどちらかが必要だったから、母の気持ちも考えずに、いや十分に考えたよ、ずっと何回も考えたよ、ただぼくの人生の責任とれるのってぼくだけなので、ぼくらしく生きるために目の前の壁を壊したかった、前に進みたかった、前に進みました。
 じぶんが幸せになるためだったら、伝えることも、伝えないことも、信頼できるひとにだけ伝えることも、ぜったいに誰にも伝えないことも、ぜんぶ正解だし、正義はじぶんのなかにもっておけばいいです。背負っている大切なものも、背負っている傷も、ひとによって種類も大きさも違いますからね。じぶんで決めて、じぶんでそれを実行するっていうのが、じぶんを大切にするということのひとつらしいですね。
 またひとつ傷跡と上手く付き合えるようになったね、えらいね。

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