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ようやく、あの方に会えるわね( #別居嫁介護日誌 67)


義父の肺炎による緊急入院によって、義母は急遽、有料老人ホームに一時入所することとなった。

「主人の帰りを待ちます」「ひとりでも大丈夫」「でも、お父さまがいない以上、わたしひとりでデイに行くわけでにはいきません」などと、さりげなく好き勝手な言い分を交えてくる義母を説得し、入所の了承をとりつけてくれたのは主治医だった。

さらに、ケアマネさんの尽力により、翌日午後には施設から迎えの車が来てくれることになった。通常、行われるはずの施設長との面談などをすべてすっ飛ばしての緊急対応をしてくれたのだ。その日は夫とふたり、夫の実家に泊まり込み、翌日の移動に備えることになった。

義母は思いのほか、落ち着いていて、夕食後しばらくすると、「今日は疲れたわね。おやすみなさい」と、何ごともなかったように寝室に消えていった。足元はしっかりし、ひとまずはトイレの心配もなさそうで、ホッとした。正直、コンビニエンスストアにでも行って、缶ビールでも買ってきて、晩酌でもしたい気分だった。でも、家を抜けだしたことが義母に気づかれ、「あの子たちがいない!!」と大騒ぎになるかもしれない。

そのまま、探しに行かれてしまうと、施設入所どころの騒ぎではなくなる可能性もある。打ち上げは明日、入所を無事済ませてからにしよう、と夫と言い合いながら、布団に潜り込んだ。

さて、いよいよ迎えた入所当日である。

わたしたち夫婦の願いはたったひとつ。義母の気が変わって、「施設になんて行かない!」と言い出しませんように。これに尽きる。

朝食時の義母は、“いつも通り”に見えた。義父の不在にも動揺することなく、マイペースに過ごしている。とんちんかんな言動もほぼでていない。このまま、穏やかに入所にこぎつけられるかも……。義母の気持ちを刺激しないよう、注意を払いながら、施設入所のための用意を進める。

とりあえずは、当座の着替えとリハビリパンツなどがあればいいと言われていたが、案外かさばる。キャリーケースひとつには入りきらず、買い物用のエコバッグなども総動員した。昼過ぎには一通り、荷造りを終え、あとは、迎えのワゴンが来るのを待つばかり。

やれやれ、これで準備が終わった……と思いきや、ここから義母対応が本格化する。

「排水口がつまっちゃってね、これはどうにもならないわ。修理の人を呼ばないと」
義母はなぜか、風呂場で排水口を一心不乱に掃除していた。困ったような顔で「これはとても今日は出かけられないわね」と言いい、風呂の床をスポンジで磨く。

なるほど、そう来ましたか。義母なりに、施設に行かなくていい正当な理由を探している様子がうかがえる。ここで、ヘンに説得しようとすると、行く・行かないの押し問答になって、より強固な拒否につながる可能性あり、と見て、そっとしておくことに。

施設から迎えの車が到着するのは15時過ぎと聞いていた。あまり直前になって声をかけると、それはそれでパニックになり、「準備ができていないので行きません」と言われる可能性もある。そこで、あえて1時間前ぐらいのタイミング狙って、「あと1時間ぐらいで迎えの車が到着します」と声をかけてみた。

すると義母は、大あわてで髪をとかし、化粧を始めた。ふだんの外出のときとは、打って変わって、かなり熱心な様子で、そんなに乗り気!? と、こちらがドギマギしてしまうほど。しかし、ほどなくその理由が判明する。

「ご近所にご挨拶をしておかないと」

義母は向こう三軒両隣を一軒ずつ訪ね、義父が入院したこと、そしてしばらく留守にすることを丁寧に説明していく。ただ、留守にしてどこに行くのか? についてはうまくぼかし、あたかも実家か、親戚の家に身を寄せるような言い回しで切り抜けていた。

そして、送迎の車がやってくると、自らさっさと乗り込み、「あなたたち、ほら早く早く。みなさんお待ちかねよ」と、わたしたちをうながすほど積極的だった。一体、何がどうなっているのか。

義母が一時入所することになった有料老人ホームは、夫の実家から車で約1時間ほど離れた場所にあった。通所リハビリ(デイケア)施設を決めるときも、「自宅の近くがいい」と言って譲らなかった義母には、この距離の遠さをできれば気づかれたくない。もし、義母が気づけば、「そんな遠いところになんて行けない」と、一気に気持ちがマイナスに傾く恐れがあった。

「おかあさん、好きな食べものってなんですか?」
「そうねえ。わたしは好き嫌いってとくにないのよ。なんでも食べるわよ」
「その中でも一番好きなものってなんですか?」
「そうねえ。やっぱりアップルパイかしら」

おしゃべりに夢中になれば、「移動時間が長いこと」に注意が向かないかもしれない。義母の気をそらしたい一心で、わたしはひたすら、「好きな食べもの」に関する質問をし続けた。

「アップルパイはね、おとうさまがよく買ってきてくださったの」
「おとうさまっていうのは、おかあさんのおとうさん?」
「そうそう。ダンナさまじゃなくて、おじいちゃまのことね」
「子どもの頃から大好きなんですね。やっぱり、リンゴはゴロゴロ入ってるタイプがお好きですか」
「そうねえ」

アップルパイの思い出話の次は、チョコレート談義。そして、ショートケーキとモンブランどちらが好きか、あんこなら、こしあんとつぶあんどちらが好きか……などなど、必死で話題をつなぐ。

頭は高速フル回転。いまにも酸欠を起こしてしまいそうな状態が続くが、義母がすこぶる機嫌良く、ノリノリで答えてくれるのが救いだった。

そうこうしているうちに施設に到着。書類を記入後、義母の部屋に案内してもらった後、一緒に夕飯をとり、解散するという段取りになっていた。知らない場所に置き去りにされたという印象を与えないためにも、一緒に食事をしたほうがいいと、ケアマネさんからのアドバイスもあった。

実際のところ、そそくさと帰ってくるよりも、食卓を囲むほうが、ご本人にとっても、家族にとっても、気持ちを落ち着けるワンクッションになるのかもしれないと感じた。

施設到着後も、「ようやく、あの方に会えるわね。どこにいらっしゃるの?」と義母に言われてギョッとしたり、義父が入院中であることを伝え、ムッとされたり……と、二転三転があった。帰りがけに泣かれたり、すがられたりしたらどうしよう……と、気が重くなるぐらいには、義母も不安定だった。しかし、最終的には義母はあっさりと笑顔で見送ってくれた。

わたしたちが気づかないうちに、さらに義母のなかので「シーン設定」が変わり、どうも「息子たち夫婦と一緒に、ホテルに泊まっている」と“理解”していたことがわかるのは、施設入所の翌朝のことだった。

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