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はっぴいえんど「風をあつめて」解釈

 はっぴいえんどの「風をあつめて」は、日本語詩史上、最も優れていると言っても過言ではない。それくらい日本語の持つ豊かさが表現されている。
 この「風をあつめて」に関して、あまりしっかりとした解釈が提示されていないと思い、私は筆を執った。
 この記事で試みるのは、歌詞を詳細に見て、その言葉の意味を捉えようとすることである。

街のはずれの
背伸びした路次を 散歩してたら
汚点だらけの 靄ごしに
起きぬけの露面電車が
海を渡るのが 見えたんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を

 旧仮名遣いなのかと見間違えるほどに、常用的ではない漢字を当てている。しかし、この当て字が重要なのだ。たとえば、路面電車ではなく露面電車と表記されている箇所は、私の見立てだと、これはおそらく「ロシア」のことを指している。ロシアは漢字を当てると「露」になる。「汚点だらけ」は、「しみだらけ」と読むわけだが、なぜ「汚点」でなければならないのか。これは、シベリア抑留を意味しているのではないか。さすがに考えすぎかもしれない。が、露面電車がロシアで、汚点がシベリア抑留だとすると、合点がいく。もちろんただの私の邪推にすぎない可能性もある。
 しかし、今後もこの調子で解釈を試みる。
 まったく的外れだと思った方は、意見をいただけるとありがたい。

とても素適な
昧爽(あさあけ)どきを 通り抜けてたら
伽藍とした 防波堤ごしに
緋色の帆を掲げた都市が
碇泊してるのが 見えたんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を

 「伽藍」は寺のことを言っているのだと推察できる。「防波堤ごし」とは、簡単に言えば敵から守る壁、くらいの意味だろう。「緋色の帆を掲げた都市」は解釈が難しい。日本の国旗と捉えることも可能だろうが、私は赤――つまり共産主義国を指していると考えたい。あくまで、防波堤ごし﹅﹅だからである。防波堤ごしに碇泊して、こちらの様子(日本)を窺っているのだ。

人気のない
朝の珈琲屋で 暇をつぶしてたら
ひび割れた 玻璃ごしに
摩天楼の衣擦れが
舗道をひたすのを見たんです
それで ぼくも
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を

 まず触れておきたいのは、歌詞の曖昧さだ。これは、三番の歌詞が劣っている、ということではない。人気のない朝の珈琲屋で暇をつぶす、とあるが、これは「人気のない朝に珈琲屋に入った」のか、あるいは「人気のない珈琲屋に朝入った」のか、判然としない歌詞になっている。もしかしたら、日本語の持つ曖昧さを利用し、聴いている者に想像させようとしている、のかもしれない。
 歌詞の解釈に戻ろう。
 「ひび割れた」「玻璃ごし」。玻璃はひび割れているのだ。つまり、何かが国土に侵入してきていることが窺える。そもそも「玻璃」と書いて「ガラス」と読ませることも気にかかる。「玻璃」というのは仏教用語だそうだ。となると、どうも(仏教的世界の)日本が侵攻されているように感じてしまう。ただ、三番に限っては、一番二番と違って、ロシアなどの共産主義国家ではないような気がする。
 「摩天楼の衣擦れ」とある。ここにヒントがある。そもそもはっぴいえんどというバンドはアメリカからの影響を多分に受けている。そのことからも、三番で「舗道をひた」しているのは、アメリカなのではないか、と推察することができる。

 そもそもなぜ、「風をあつめて」「蒼空を翔けたいん」だろうか。すこし学術な手続きに頼ることにしよう。かつてテレビ番組において松本隆はこう答えている*¹。「風街は、オリンピックで景色が変わる東京のイメージ」。
 これまで見てきたように、この曲は、何かから侵攻されている様を歌っている。そして、それに抗うこともなく、「蒼空」を「翔けた」くなるという、ある種の諦念のような心情も、同時に歌われている。
 何も戦争の歌ではない。それは明らかである。
 となると、この曲は、歴史で見たときの「日本」の有り様を歌っているのではないか、と私は考える。日本という国は、ずっと外部から様々な物や人を受け入れてきた。そして、それを日本風に変えてしまう。
 「風をあつめて」は、日本そのものを歌った曲だと言っていい。
 そして日本語詩としての永遠の達成を果たした曲だ。
 つまり、日本という長い歴史の中で生まれた、日本語における最高到達点が、「風をあつめて」なのである。






出典

*¹ 「名盤ドキュメント3 はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~」NHK BSプレミアム、2014年12月30日。

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