読書感想文
水曜、休み、早朝、元気
おはようございます。
これを書いている現在の時刻は朝の6時。
今日は朝の3時に起きました。早起きとかそんな次元でない。
昨日仕事が終わってからガーっと飯を食って酒を飲んで気絶したのが21時半頃。大体6時間くらいは寝てるので、睡眠時間的には健康なんですけどね。
休みの日の朝っていい気分よね
何でこんなに早起きしたのか、とかの理由は一切ありません。目が覚めたのがこの時間だったのです。
休みの日に早い時間から活動できるのは得って感じしますね。大体の日はやりたいことが寝る事だったりするので昼まで寝たりするんですけど。
朝早くに目覚めて、昼過ぎくらいに活動終了するくらいが理想だな、と思っています。
折角起きたのだからと思ってネットサーフィンをしていますと、Twitterのトレンドに「みくのしん」というワードがありました。
トレンドを踏んでみると、昨日のオモコロの特集記事の話でした。
これです。
これを読まれてる方の中で記事を読んでいない方がいたら、ぜひ読んでほしいです。めっちゃ面白かった。
前回も同じような内容で、「走れメロス」を読むというのをやっていましたが、あれもすごかったです。
今日はこれを読んでから、無性に何か文字に起こしたくなったのでnoteを開いた次第です。
記事の感想
・普段全く本を読まないオモコロライター、みくのしんさんが芥川龍之介の「トロッコ」を読んでみる、という企画です。
この企画、いいよね。みくのしんさんは自分で「読書が苦手」って言ってるんだけど、それは読めない、とか理解が出来ない、とかではなくて人よりも一つの文章から読み取れる情報量が多いから、「なんとなく」で読めないんだと思います。
わからない表現とか単語があったら聞く。調べる。当たり前っちゃ当たり前なんですが、記事内でかまどさんが言ってたみたいに、だいたいの人って単語の意味とかをなんとなくのニュアンスで脳内補完するから、難しい単語とかがあっても読み飛ばしちゃったりするんですよね。
でも、文字を使うことを生業にしている人がわざわざそんな単語を使うっていう事は、その単語が一番この状況にふさわしいと思って使っているかもしれないのです。作者はそこまで考えていないかもしれませんが、そこまで考えている作者もいるかもしれないんです。
だとすると、みくのしんさんの本への向き合い方って、作者が書きたかった事をそのまま受け取ることが出来る、一番適切な方法だとすら思います。
その読み方をしたらめっちゃ疲れるっていうのもわかります。そりゃ文にしたら2~3行の文字量からそこまでの情報をくみ取ろうとしたら映画とかを流し見るのとはわけが違いますからね。
記事内にも書いてありましたが、「トロッコ」本編を全部読むよりボリュームのある記事です。それなのにすらすらと読めて全然苦じゃないのがすごい。前回のメロスもそうですが、この企画はおもしろとかではなく単純に「いいもん見たな」って気分になります。普段のオモコロ記事とは違うベクトルですが、すごく好きな企画なので第三弾もぜひやってほしいと思っています。
ちなみに僕は本を全然読みません。
読むこと自体をステータスだと思ってしまうからです。
あの文豪の作品を読んだ、あのアニメの原作を読んだ。という称号のために読むと、読書がノルマにしかならないので続きません。
雑念無しで読書がしたいのは山々です。読んでみたい小説もたくさんありますが、結局読みません。
僕は本当の意味で読書が苦手なのだと思います。
好きなものは好きでいい
あと、一連のみくのしんさんの読書を見届けるかまどさんが良かったです。
「自分の好きなようにやりなよ」っていうスタンスで、これが正解とか、こういう風に読めみたいな押しつけをしない。すごいと思ったところは素直に褒める。
本を読むことのここが楽しいんだよ!っていうのを言われるより、読書は自由だよ!っていう事を教えてあげたほうが本人が楽しめる事を知っているからこそだと思います。
これは読書だけじゃなくて他の事にも言えると思いますが、楽しみ方を限定されちゃうと急にハードルが上がるんですよね。
ここが面白い!とか、ここを意識して見てほしい!って言われるとちょっとげんなりするというか。
例えば、「僕のヒーローアカデミア」が好き、という人を集めて感想を聞いた時に、
「とにかく話が面白い!」とか、
「バトルシーンがすごい!」とか、
「日常パートが好き」「このセリフが好き」「このキャラエロいから好き」
みたいに、多分いろんな意見が出ると思います。当たり前ですが、人が面白いと感じる場所って千差万別なんです。
だから、ヒロアカを知らない人におすすめするとき、「このバトルシーンのここの回想がすごいから!そこだけでも見て!」って言われてもあんまり見る気にはならないと思います。(ここは僕の個人的な意見です)
それは自分が好きなだけで、相手が好きかどうかとかは関係ない「感想」だからです。自分の感情の押しつけだけじゃなくて、いろんな面での楽しみ方を知ることが出来ると、「自分でも楽しめそうだな」って踏み込めるんだと思います。
みくのしんさんが自分で「読書は苦手」と言っていたり、しきりに「大丈夫?これで合ってる?」って不安がっているのを見て、なんかその感覚わかるなあ、って勝手に自分を重ねてしまいました。
本人が不安になってる理由はわかりませんが、僕の中にはなんとなく「読書好き」な人のイメージがあって、読書っていうのはそういう人たちと同じように楽しまないといけないんじゃないか、っていう気持ちになっちゃうんです。
自分の場合はそれもあって本を読むっていう事に対して手が伸びないっていうのもあるんだと思います。
だから、否定することなく楽しみ方を見つけさせてあげるかまどさんを見て、めちゃくちゃ良いな~と思いました。
別に実際どんな読み方をしてもいいと思うんです。
作者の意図は作者にしか分からないし、そこに正しさを求めるのもどうなんだっていう話です。
本を読む、っていう行為の中で、どこに楽しみを見つけるかも人それぞれでいいんだっていうのにやっと気づけた気がします。
いろんな要素が組み合った中での、一つでも気に入ったところがあれば、「好き」でいていいと思うんです。
たくさんの本を読まなかったら「読書好き」と言ってはいけない。
アーティストの出している曲を全て聴きこんでいないとファンを名乗っちゃいけない。
「この作者の本が好き」とかだけじゃなくて、「本を読むとこういう感情になれるから、そのときの心の動きが好き」みたいな人も、読書好きを名乗る資格はあると思います。
本に詳しい!みたいなスタンスをとって全然知らなかったら叩かれるのはしょうがないと思いますが、読書が好きだ、と言っただけで「好きな作家は?○○は読んだ?読んでない?○○も知らないのに読書好きて(笑)にわか乙(笑)」と言われてしまう風潮は結構苦手です。
好きを発信できないというのは窮屈なので。好きな事は好きって言わせてよ~って、そういう話です。
あとがき
僕は文章をまとめるのが苦手です。
冒頭で現在の時刻は朝の6時って言ってましたが、あとがきを書いている現在の時刻は朝の9時前です。時間かけすぎだろ。
頭の中で考えながらいったん文字に起こして、書いては消しを繰り返しているので時間がかかります。
こんな僕でも文章を書くのが好きです。
頭の中のもやもや~っとした部分をなんとか人に伝わるように言語化する、っていう作業をすると、漠然としたもやもやが晴れてすっきりするからです。
でも別に文章があってるかとかはわかりません。多分日本語的におかしいところもいっぱいあると思います。
小説読んで文章の書き方を勉強するか、っていうのも考えましたが、これもまたノルマみたいになっちゃって読めない。
理由付けがいらないくらい、「読みたい」って気持ちになったら本を読みます。
おやすみなさい。