かくもゆかしきあづま人②
第2章 恐怖のギリスビー
ぎりすびとは主に東北地方で使われる方言で交際上での義理立て、お返しなどを意味します。
田舎では特に人が亡くなった時の情報網がものすごい。
葬儀社が設置する、葬儀の日時や場所等を知らせる立て看板。
あれに異様に反応してしまう。どこぞの誰それさんの名前が知り合いだった場合は、さぁ大変。
情報通のご近所さんに探りを入れて、情報収集。
はたまた、過去に我が家ではお悔やみをもらっているのかいないのか、その額はいくらなのか。
家が近くとあれば、お通夜の裏方でお手伝いなど、ちゃんとした手順を踏まないと後々、何を言われるか分からない。
田舎暮らしと言うと、ゆったりのんびりとイメージを持つ方も多いかもしれない。
しかし実際のところ、田舎には根強く残る義理立てが大きく生活に関わってくるのだ。
ゆるっとしたイメージを持ち田舎に移住し、思った様な人付き合いではないと、都会に戻る人がいるのは、こういう部分にあるかもしれない。
何故なら田舎の人達は、最初こそ警戒してよそ者を受け入れるのに時間をかけるが、慣れてくれば容赦ない。
郷に入れば郷に従えで、地区の決まり事、やり方を容赦なく求めてくる。
何せ田舎の奥様方のお楽しみと言ったら噂話。
あの人、集まりに全然来ないだの、挨拶しないだの大きな事から小さな事まで、語り合うのがお好きなのだ。
ある日突然出先から戻って来ると、玄関に大量の野菜が置かれている。
これだけ聞くと、田舎の微笑ましいお裾分けかな?と思うだろうが、実際は少々違う。
まず、私からですなんてメモは皆無。
つまり誰からの頂き物か全く分からないのだ。
ここから怒涛の犯人探しが始まる。
犯人と言っては大変失礼な話しだが、本当に電話一本、留守中に置いたよの一言をもらえたら苦労はないのだが、田舎の人はほぼ連絡してくれない。
お礼なんかいらない、誰だか分かるだろうと思っているのだろうが、こちらとしては断定するのにかなり頭を使う。
まず、置かれた野菜の種類から探っていく。
大根、ネギ、白菜。
これを畑で育てている人で人数を絞っていく。
祖母の代からの付き合いがずっと続いているから、母へと引き継いた時が大変だ。
祖母が亡くなって、聞く人もいないため手当たり次第に連絡してみるしかない。
何でそんな大変な思いまでして、お礼をしなくてはいけないのかは、前述の噂話へ繋がるためだ。
とりあえず、当たりをつけて電話をしてみる。
これで気まずいのは、当事者ではなかった場合だ。もらってもいない人に野菜ありがとうございます的な探りを入れるわけだから、催促している様に思われても困る。
全ての匙加減が絶妙を要する。
大体2件くらいで、判明する。
我が家では畑を持っていないから、お返しは何か買ってきた物を用意しなくてはならない。
田舎暮らし、野菜は貰えれども、返ってお金や余計な労力を必要としてしまう場合があるのだ。
そうこうしていると、「ピンポーン」お客さんがやってくる。
一度目に探り探りで電話を入れたご近所のおじいさん。
「あんたから電話きてちょうど良かった!もらってちょうだい」
玄関にどっさり置かれた全く同じ種類の野菜たち。
田舎の恐るべき情報網とギリスビーの応報の数々。
貴方には耐えられますか?