You said such a thing, but. . .
私の前の記事を読んで思った
そんなこと言ったって・・・
つらい時はつらいわ。
調子が出ない時は、ワクワクすることさえ浮かばないよ。
身体が痛かったり、頭が重かったり、生理前だったりする時は、
自分が何が好きで、何に没頭したいのか、何を楽しくやれるのか、
本当に分からない。
あんなにワクワクしてた自分は、2重人格か何かだったの?
私が生まれて、今生きている意味はなんだろうか?
楽しそうなみんなが羨ましい・・
私が好きなことをしてるだけで、本当に世界のためになるのだろうか?
好きなことって何?
朝、手を搔きむしり、指が腫れ、血と滲出液がでて、
痛くて辛くて、悲しくて、頭も重たい。
一人では耐えられなくて病院に行った。
そうやって誰かに頼ろうとするのは進歩したこと。
癒しの空間のような病院と、話を聞いてくれる看護師さんや先生に癒されて、ただ眠かった。2時間前にはジンジンしていた手も少し落ち着いた。
手の湿疹は、去年の秋から続いていて、
良くなりそうで、良くならない。
痒くなかったり、痒かったり。
着実に変化しているのは分かるけど、ツルツルには程遠い。
昔から湿疹や痒みが体の表現として、サインとして現れやすい私は
その繰り返す症状に慣れていた。
にしても、治りにくい。
今の世界の状態を現すように。
これは、なんのサインなの?
何が原因?
何が足りない?
何が悪いの?食事、生活、意識?
この考え方だと、どんどん頭を使うし
自分のダメ出しになっていく。
因果関係というのは、もっともなことだけど、
それを探ることが、時に自分から離れていってしまうような感覚が淋しい。
自然の植物や、猫や動物たち、
産まれたばかりの赤ちゃんをみるような目で感じたい。
手から感じるのは、
生きていること。
2時間前の私と、今の私が違うということ。
2時間前の痛みや痒みが、2時間後には楽になっていること。
血が出たところは、瘡蓋になる。
瘡蓋が、剥がれて、新しい皮膚ができている。
生きている。
とにかく、生きている。
手が使えない状況だと、家事や仕事も十分にはできない。
自ずとゆっくりなペースになる。
頭も重ければ、眠くて、思考も微妙で、ただのだらしない人みたい。
動けない、活発にできない。
でも、生きている。
生きていることは、愛されていること。
それを教えてくれる人がいた。
空気も愛
一つ一つの細胞の働きも愛
生まれたことが愛
誰かに愛されている
というより
この世界全体に愛されている
手が痛いと伝えたら、
お父さんが、朝から溜めていた食器を洗ってくれてた。
冷凍庫には、母が買っててくれた魚や、たくさんの赤飯が入っていた。
私は、愛されている。
手がボロボロで
何もできなくても
好きなことが見つからなくても
何かに没頭してなくても
作り出さなくても
生きていることは、愛されていること
何にもしてないようで、
守られて、一歩ずつ、進んでいる。
とても遠くに見えないゴールにも
着実に近づいている。
今の自分の状態に
愛する友人や
猫や家族が今の自分の状態と同じ状態になっていたら
どんな言葉をかけますか?
どう感じますか?
あなたも、同じように愛されていますよ。