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【#贈りnote】葦に灯るともしびを

最初は憧れだった。
高校生の私は、その整った文章と、明晰な物語にうっとりとした。
しかもその顔写真の端正な佇まい。
クラスに居場所を見つけられなかった私は、休み時間にはいつも一人で彼の文庫本を読んでいた。

夏休みのある暑い午後。彼の没後50年の特集記事を読んだ。
記事は彼が若くして華やかなデビューをしたことや、すでに語られ過ぎた才能について書いていた。
テレビの特集では、死の前年頃の動画が映っていて、不器用に木登りしようとしたり、着流しで子ども達と庭で遊ぶ様子が、カクカクとコマ送りのように動いていた。
麦藁帽をかぶって長い紙巻煙草をふかして大量に煙を吐いているアップ。
切れ長の三角形の目。
鬼才と言われた作家は、普通のお父さんでもあった。

流行作家になっても、養子としての彼は遠慮の多い生活をしていたようだ。
養家の家族、ことに一番彼を愛した伯母には、終生頭が上がらなかったという。
そんなだから、結婚生活も窮屈だった。体裁を重んじる家風であればなおの事。由緒ある家柄ではあったが、質素倹約を旨とする生活だった。

芥川龍之介。
現在私の長男は36歳だが、その年齢で、彼は自殺してしまった。
昭和2年7月24日「大暑」。未明から雨だった。
枕頭に聖書を置いて、薬の致死量を飲んだと言われている。

妻の文子さんは夫の死顔を見て「よかったですね、お父さん」とつぶやいたという。
親しい友人が描いたデスマスクの写真を見たときに、まるでほっとため息をもらすかのような静かな表情だったのを憶えている。「お疲れ様」と声をかけたい気持ちになった。

健康不安を抱えながら親族の災難に奔走し、スキャンダルに消耗し、全集の編纂を任されるもほうぼうからの不平や批判で思うようにいかず、家庭内でもゆっくりと安らぐことは少なかった。

世の中は労働者文学の台頭で高等遊民的な作家たちは追い落とされる勢い。芥川家に強盗が押し入って金品を要求されるなどという出来事もあった。
芸術のために小説を書こうとする自分に存在意義があるのだろうか。
「或る阿呆の一生」には、夜空の高架線に閃く火花を見て、人生と取り換えてでも手に入れたかった、という記述がある。

晩年は私小説のような作品が多くなった。
「筋のない小説」と言って、谷崎潤一郎と小説の筋をめぐって論争した。
私はその頃の小説が好きだ。

代表作「戯作三昧」や「地獄変」など、いわゆる「芸術至上主義的」な華麗な作品たちよりも、そういった自分の生活の断片に思いを託して描いている作品が好きだ。
そこにいる芥川は、優しく、気弱く、風吹く街をとぼとぼ歩いている。

晩年の「暗中問答」は、悪魔との問答による戯曲風な作品だ。悪魔が消え去ったあと一人になり、独白する。
自分を風に吹かれる葦だと言って、しっかり地に足を着けていろ!と叱咤激励している。それは悲痛な叫びに似ている。
40日の断食のあとで悪魔と問答したイエス・キリストを彷彿とさせる。
イエスにしても芥川にしても、悪魔とはもう一人の自分、ということなのだろう。

最晩年、「西方の人」を書いて彼は命を終わらせた。
彼は、イエスの生涯を書きながら、自分の生涯をなぞったのかも知れない。
熱い信仰に胸を震わせるイエスと、芸術的陶酔の一瞬、火花の閃きを追い求める自分と。
それを追い求めずにはいられない、と書き遺して旅立つ。

芥川龍之介を思う時、私はいいようのない郷愁を感じる。
孤独。生きているものみんなに共通している、孤独。
孤独の生まれるふるさとのような存在に思える。

芸術に限らず、やりたいことに忠実であるほど、人は孤独だ。
それを両手で大切に包んでやりたいと思う。
孤独な葦に灯るともしびを両手で包んでやりたいと思う。



おだんごさんの初企画、 #贈りnote に参加しています。


なんかずれまくったような気がしなくもないですが、私の「贈りnote」を書いてみました。
私の龍之介。ずっと大切な存在です。
彼の親みたいな年になり、ますますカワイク思います。
はじめて思いの丈を書いてみました。
多分、いろんな不備がありましょうが、そこはどうぞお許しください<(_ _)>


大事なこと忘れてた!
E賞でお願いします‼️



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