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雑感~やまゆりの言葉

入所者19人が殺害された津久井やまゆり園の事件から8年。
テレビで、園のあらたな取り組みを知った。
入所者の意志。可能性、能力や才能。
それは「ある」として生活していくこと。

あの事件が起きたのは、自分たち古参の職員のなかに
入所者には自意識がない、何も考えていない、という観念を
入職して間もない犯人の中に育てるような、態度や言動があったからかもしれない。
という。

事件と向き合う中で、職員一人一人にも問題があったと認めるには、相当な葛藤があったことだろう。


入所者の気持ちをまず第一に。
「やらせる」ではなく、やりたいと思うまで待つ。
やりたくないならそれでもいい。
「待つ」という信頼は、入所者にも伝わって行く。
表情がやわらぐ。
自己表現を始める人も出てくる。

園の外部に、家族以外の支援者をつくる。
一対一の、有志のご近所さんによる支援だ。
一緒に時間を過ごす。連れだって買い物や散歩。
これはいい試みだなと思う。

家族や、園からの信頼がなければ、とてもできることではない。
だけど考えてみたら、ごく普通のおつきあいなのだ。
資格もいらないし、経験もいらない。「あなた」と「私」のおつきあい。

画面の中のその入所者はご近所さんと腕を組んでにっこりして「お母さんと言いたい」。
ご近所さんが「いいよ!」と笑顔で答える。

ご近所さんと腕を組んで「お母さんと言いたい」って、この人が口に出したこと。気持ちがそこまで動いたこと。ご近所さんの心も潤ったに違いない。
組んでいる腕に一緒にあたたかい力がはいる。
こういうひとつひとつが積み重なっていったなら。
障害って何だろう。何について「障害」というんだろう。


ごくあたりまえの、人と人同士の付き合いが制限されてきた。
その人に「合った」生活や教育を与えるために。
「障害者本人のため」という信仰に偏り過ぎていなかったかとさえ思う。

住み慣れた環境を分けられる所に「本人のため」なんてあるんだろうか?
家族や一緒に育つ友だち、顔見知りの地域から切り離されて。
(もちろん、各家庭環境、個性、さまざまではあり、そこは選択肢がたくさん提供されたらいいなと思う)


閉じた施設の中で、新しい空気が回らない環境で、そのうちに「入所者は何も考えていない」という思考停止状態になっていったのだろうか。
「何も考えてはいない」なら、関わるものは葛藤から解放される。
しかしほんとうは、いつでも葛藤しているのだと思う。
葛藤を抑え込みながら行うケアの手は、迷った末に「何も思ってはいない」のほうに舵を切る。

「何も考えていない。意思なんかない」ということにしたい。
そのほうが気持ちが楽だから。この難局を切り抜けられるから。
私を含め、障害者の家族にだってそういう誘惑に捕まることはある。

毎日の大変な業務の中で、この職員のように「自分たちもそういう思考を育てるような言動をしていたかもしれない」と言葉にするのはさぞかし辛かっただろう。それを認めたことに、自分にも心当たりがあり、胸が締め付けられた。


大きな事件だった。注目を集めたし、社会は重い宿題を負わされた。
そして、いつか必ず明るみに出る歪みだった。
いままでも小さな軋みは聞こえていたが、この事件はいきなり残忍な形でその裂け目を突き付けたのだった。

言葉を使わない対話のなかで、参加者たちはみな異口同音に
「いつかこういうことが起こると思っていた」と言った。
(※事件の翌年に行われた「指談」の対話の時間に)

※「指談」は言葉のない重度障害者や中途障害者を対象に、当事者の掌や体に触れてその考えを読み取る方法。当事者の指を読み取る側の掌に滑らせて読み取る方法もある。批判は多いが、私は息子と3回参加して、長男の変化に触れ、彼の内側に「ことば」があることを信頼している。

「障害者」たちはしっかりと見て感じている。
思いを表現できずに怯えている。



事件後8年、現場となった園での取り組みは、明るいニュースだった。
19人のかけがえのない命とひきかえではあった。

表現はしていなくても、その人の心も自分の心も、同じだということ。
表情には出なくても、喜び、楽しみ、悲しみ、傷ついている、ということ。
聴こえていても、いなくても。
見えていても、いなくても。
こちらの心の状態は、しっかり伝わっているし共感もし合えるという事。

視線が定まらない、意味不明と思える行動、奇声、暴力。
その心の奥にある「考え」。
そんなのない、と思ってかかわるのか。
その「考え」のありかを受け入れて、探しながら、かかわるのか。

障害のある人の生活、生き方を云々するよりもまずは
自分個人のあり方について、よく考えてみたくなる。
言葉を使わない相手には、関わる私の正体がくっきりと投影されている。


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