お見合いを一度は体験してみたかった
10年以上前から日本の婚姻数が減少していることは、皆さんご存じだと思います。
その内訳をよく見てみると、お見合いと職場結婚の減少が非常に大きく、それ以外のいわゆる自由な恋愛による結婚は昔も今もそれほど変わらないそうです。
親が介在して紹介し合った昭和のお見合いや、結婚前提で就職する女性が多かった時代の寿退職につながるような職場結婚はもう非常に少数派となったようで、確かにあまり聞かなくなりました。
婚姻数の減少は少子化に直接つながるという意味で重要ですが、今回はそれだけでなく、日本人の結婚に対する考え方の変化について考えてみたいと思います。
お見合いや職場結婚のメリットデメリット
私が社会人になってすぐの頃は、まだ周囲でお見合いや職場での寿退職がよくありました。
特に若い女性は、職場でよい出会いを見つけて結婚するというゴールがあり、キャリア志向ではない人の目標になっていたと思います。
またそういった結婚をした先輩や同僚などを見て、皮肉ではなく「望まれた枠にちゃんと収まることのできる人生」の羨ましさを感じたことを覚えています。
お膳立てしてくれた親や職場の暗黙の期待がかかっているという意味では不自由かもしれませんが、周囲の期待に自然と対応できるタイプの人にとっては、むしろ望ましい状況だったかもしれません。
ただもちろんそういうパターン化された結婚の経路を選ばない(または選べない)人が多くなった今、当然お見合いや職場結婚は減り、多分二度と増えることはないと思います。
マッチングシステムの弱点
今はアプリで手軽に恋人候補を探せるので、お見合いや職場によるアシストなどいらない、と考える人も多いと思います。
マッチングアプリの利用度は年々上がっていて、すでに多くの人に受け入れられています。
20代男女の3割に利用経験があるというのは、利用したことがない世代の私にとってはとても多いと感じました。
でももう彼らにとっては普通のことかもしれません。
しかしマッチングアプリには弱点があり、参加者の質を保証する人がいないので結局個人のスペックをよく見せる競争になり、おそらく現実の恋愛と同じく少数の勝者しか残らないと思われます。
これらのサービスは、お見合いのオンライン化ではなく、異性との出会いのDX化と呼んだ方が適切ではないかと思います。
個人主義と助け合いのバランス
かつてのお見合いや職場結婚には、親同士、職場の上役、同僚といった人の信頼を利用して、気が変わりやすく不安定な若い人の生活を落ち着かせるという意味合いもあったと思います。
若い人には周りからのアドバイスが必要で、その時は口うるさいと嫌がられたとしても、後になればありがたいと理解できるようになる、という経験値が社会にあったのではないでしょうか。
高度経済成長期のあと、年功序列などの階層主義が衰退し個人主義が台頭してきた昭和後期から平成の時代に、恋愛結婚が至上のものとして謳われ、トレンディドラマなどでは、個人同士で自由恋愛ができたら勝ち、親世代のような不自由な結婚は負けというストーリーがもてはやされました。
私も、当時のそういった流行に影響を受けなかったかと言われたら、やはり大いに受けたと思います。
それと時を同じくして、かつてのお見合いや職場結婚を成立させていた「家庭」「学校」「地域」という関係性から逃避し、個人の居場所をネットや街に求める若者が非常に増え、今もその状況は変わっていません。
しかし個人がすべてを決めるべきという信念は、それに対応できるだけの独立した人格があり、自力で問題を解決できることが前提になりますが、ぶっちゃけそんなことは実現可能なのでしょうか?
結婚は独立した個人二人だけで成り立ちますが、子育てや老後はなかなかそうは行きません。
若いうちの恋愛や結婚の後にやって来る子育てや老後にも対応できるためには、周囲との関係も込みで社会性を構築しなければなりません。
かつてのお見合いや職場結婚が今後も続くことは社会情勢的になさそうですが、そこに内包されていた「信頼」をベースにした結婚・子育て・老後への対応方法は今でも参考になると思います。
例えば現在の新しいコミュニケーション技術を使って、個人同士だけでなく周囲との関係を構築できるような、「社会性のある結婚」を後押しすることができればよりよいのではないかと思います。
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