なぜ日本の音楽はリズムよりメロディ重視なのか?
私には日本の音楽に関して長年の疑問があります。
日本ではなぜ欧米やラテン等のような、20世紀以降のブラックミュージックから影響を受けたリズム中心の音楽ではなく、メロディと歌詞中心の歌謡曲的な邦楽が支持されるのか?です。
日本にもリズムやビート主体の音楽が流行した時期はあり、70年代のロック、80年代のディスコ系サウンド、90年代のユーロビート~小室サウンド、そして現在のK-POPです。
ただそれらはすべて一過性で、ブームが過ぎたら日本化した穏やかなサウンドに収束していきました。
上記以外のヒップホップ・ラップ・R&B・パンク系・テクノも同じです。
おそらくK-POPも日本化していくでしょう。
この疑問を考える際、まず日本国内で親しまれている音楽の特徴を確認するため、もっとも一般の人の土着的な音楽文化を反映していそうなカラオケランキングに注目しました。
あいみょん|マリーゴールド
HoneyWorks|可愛くてごめん (feat. かぴ)
Kanaria|酔いどれ知らず
YOASOBI|アイドル
優里|ドライフラワー
これらの曲に共通すること
私の独断ですが、これらの曲は素朴でシンプルなメロディと歌詞が主役でリズムパートの存在感が小さく、さらに自己流で作られ西洋の音楽理論を学んでいないという印象を受けました。
米津玄師やVaundy、椎名林檎などのようにバックグラウンドに深い音楽知識が詰まっているのではない、アコギの弾き語りからスタートしたあいみょんや優里、また若い発想力重視のボカロ系。
YOASOBIは素朴ということはないですが、DTM世代らしい軽くて聴きやすいサウンドが特徴で、スマホで聴くのにとても合っています。
そういった、良い意味での軽さと新しさが若い人に支持されているのかもしれません。
世界の音楽は20世紀にほぼ黒人系に
世界の音楽の歴史はクラシック音楽を抜きには語れません。
17世紀に音楽の父バッハらがさまざまな音楽技法を発明し、その後欧州では華やかな音楽文化が花開きました。
そしてクラシック音楽から現代の音楽理論の多くが発展しました。
しかし20世紀になるとまったく異なる音楽が台頭し始めます。
それは彼らが植民地に強制的に連れてきた奴隷のアフリカ人が奏でる、リズム中心のアフリカ伝統音楽です。
そこから南米ではサンバ、中米ではルンバ、北米南部からブルース、ジャズ、ゴスペル、カントリー、ロックンロール、ソウル、ダンス、ファンクへ展開。
南米ではその後ボサノバ、スカ、サルサ、レゲエとなり、ヨーロッパに輸入され、クラシック音楽は文字通り古典となりました。
そして上記すべてがアフリカ発祥のリズム中心の音楽であり、現在のポピュラーミュージックは世界のほとんどで上記のいずれかまたはその派生形となっています。
過去に植民地だった地域は原住民が虐殺または抑圧されたため伝統音楽が消滅し、それに代わり奴隷のアフリカ人が音楽を次々と発明し、それが宗主国へ伝わり発展しました。
北米、南米、オセアニア、アジアの多くがそうです。
むしろそれに該当しないのはおそらく、日本、アジア・インド・ブラジル等の奥地、北欧・南欧の一部等だけではないでしょうか。
和に回帰する音楽
米津玄師のFlamingoは江戸の花魁を歌った曲で、サウンドはファンクやヒップホップ系ですが、古い言葉と独特の和っぽいメロディがとても自然に入れ込まれていて、彼の持つアイデアの引き出しの多さに感心します。
またMAISONdes「ヨワネハキ」を聴くたびに、江戸(もっと前?)から続く祭り囃子(まつりばやし)のような懐かしさを感じるのは私だけでしょうか?
これらの曲は、邦楽が今の音楽スタイルを取り込みつつもその中に伝統的で素朴な和のメロディと歌詞が脈々と受け継がれていることの、ひとつの証拠と言えるのではないでしょうか。
またここまで分かりやすく和風ではなくても、例えばいきものがかりとか野田洋次郎とか、形はロックバンドであってもサウンドには懐かしさを感じるメロディとメッセージを入れ込めるアーティストがたくさんいます。
私はそういう表現は、海外の音楽にはあまり見られない日本の音楽の特徴だと思います。
いろんな歴史の偶然が作用して生き残った伝統的な音楽を楽しめる今の日本人はとても恵まれていると言えるのかもしれません。
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