M-1は漫才の原点回帰
2022年のM-1グランプリは、さや香とウエストランドの一騎打ちの様相を呈した最終決戦で、爆発的な笑いを取ったウエストランドが優勝しました。
日本国民全員が薄々感じていた、R-1グランプリの微妙な存在感を漫才の場を借りてはっきりと言い切った作戦勝ちだった気がします。
もちろんそれ以外も面白い例えばかりでしたが、結構マニアックな話題を出しているのにその説明が非常にわかりやすく、そういうしゃべくりの丁寧さがあっての優勝だったんではないかと思います。
ただ個人的には、奇をてらわない男女の友情や老化といった超普遍的な話題で笑わせてくれたさや香の漫才が好きです。
ボケと突っ込みという役割はそのままに、異常と思っていた側が正常だった(その逆も)という、何をもって不純?何をもって衰え?と見ている人の常識のラインを揺さぶってくるような面白さがありました。
さや香の回のYoutube再生回数が一番多いというのも納得がいきます。
漫才という笑いの歴史
ところで、漫才というお笑いのスタイルはもともと、上方(関西)の寄席で2人で立ち話をする形式から始まったそうです。
昭和の初めから始まり戦争を挟んで1960~70年代には大きな人気となりましたが、その頃の漫才は大人の話芸という印象が強く、その後に訪れる80年代の漫才ブームのようなアイドル的な人気はなかったようです。
その後80年代の漫才ブームが訪れ、ツービート、B&B、紳助竜介などの漫才師が活躍しました。
内容的には、70年代までの話芸から大きく変わり、一発ギャグ、コント形式、ルックス重視など若い人に分かりやすい要素が取り入れられ流行しましたが、その分ブームが去るのも早かったと思います。
そしてその後ダウンタウンが90年代に現れ、その後2001年にM-1がスタートし、数年中断はしましたが今も続き、現在は80年代に次ぐ2度目の漫才ブームと言えるような状況となっています。
これは私の印象ですが、1990~2000年代の漫才は決して流行の先端ではなく、むしろ時代遅れ感が強かったように思います。
ダウンタウンは漫才出身ですが売れたらもう漫才はせずコント番組ばかりになり、SMAPのようなアイドルまでがコントで活躍し、さらにめちゃイケといったコントバラエティが圧倒的に人気でした。
そんな中、関西発で漫才を再興しようというM-1が始まり、数年の時間をかけて漫才の再発見がなされました。
これから漫才はどうなるか
漫才に限らず、エンターテインメントの栄枯盛衰にはある特定のパターンが存在すると私は思いますが、最古のエンタメともいえるクラシック音楽の歴史がそれを表しているのではないかという考えをこれからお伝えします。
まずはクラシック音楽の歴史を簡単に説明します。
① バロック音楽 17世紀ごろ
音楽の父バッハやヴィヴァルディを代表とする、音楽の基本的な形式が作られた時期で、多くが教会や歌劇などで演奏された。
② 古典派音楽 18世紀ごろ
モーツァルトやベートーヴェンが活躍した時代で、貴族文化の中で交響曲や協奏曲などの華やかな音楽が人気を博した。
③ ロマン派音楽 19世紀ごろ
ショパンやドヴォルザークのような、市民の自由や権利を求める時代の感情に訴える曲が多く生まれ、ヨーロッパの一般大衆に音楽が広まった。
④ それ以降の音楽 20世紀以降
いくつかの流派に分かれて多様化していくが、代表的なのはドビュッシー、ラヴェルの「印象主義」、絵画の印象派のようなイメージを音にした音楽。
そしてもうひとつが「新古典主義」と呼ばれる、昔のバロックや古典派に回帰しようという動きで、個人的な意見ですが、これが現在の映画や舞台音楽の源流になっているように感じます。
簡単に言うと、まず①表現形式が確立され、②ニッチな流行が起こり、③広く一般に普及すると、④方向性を失い多様化し、④自己言及的な原点回帰を始め、最終的には古典芸能として生きながらえるという経緯をたどります。
それに現代に当てはめると、漫才はすでに「新古典主義」のような再発見の時期に至っており、今のブームは最後のひと花で、今後は落語と同様の古典芸能化する流れが見えてきているように思います。
どのジャンルでも「復刻」や「再発見」が増えるとそろそろメジャーな立場に終わりを告げる時期で、新たな展開がなくなり特定の形に収束していき、それを伝統として引き継いでいくようになります。
80年代の漫才ブームをよく知っている山田邦子が審査員になったのも、たまたまとは思いますが、原点回帰のひとつの表れかもしれません。
この予想が当たれば、古典芸能化した漫才がお笑いエリートの必須履修科目になり、クラシックを正式に学んだミュージシャンと同様に権威として扱われるようになる、なんて未来もあるかもしれません。