最近、ふと疑問が浮かんできた。 今日は、その疑問についてのお話をしよう。 ※ここから出てくる話は、個人の見解であって研究などで得た知識ではないのでご容赦ください。否定的な意見も真摯に受け止めさせていただきます。 まずは本題の前に、その疑問の大きいポイントとなるに日本の美意識や表現について触れておきたい。 引き算の美学として確立した日本の美引き算の美学。 これは世界的に評価を受けている日本食、神社仏閣や城に代表される日本建築、家具や伝統芸能に至るまで日本のさまざまな文化で
人間は単純だ。 いつもは何気ない行動でも その人の意識によっては見える世界が変わる。 SNSのいいねひとつで傷つき、心揺れる。 くだらない、悔しい、愛おしい、寂しい 色々な感情が溢れる。 でもそんな感情の一つ一つに感謝してあげる。 それも全て自分なのだと、この気持ちを教えてくれてありがとうと、この感情があるから成長できると。複雑に感謝する。 なにより、全てに感謝できる私に感謝する。
今日はふと、浮かんだ詩というか物語というか、自分の中での比喩を綴っていきたい。 --------- 蝉の鳴き声で耳が溶ける、暑苦しい夜 ここ数年この時期になると思うことがある。 「私は蝉みたいだ」 いつ死んでもいい。人生なんて終わってる。 誰も認めてくれない。必要とされてない。 そんなことばかり考えていて、 私は、声を枯らしてなく事もないし、そうしようとも思わない、そうやって土の中で過ごしてきた。 存外、私は愚かで明け方に、土から出たとしても、木には登らず、殻を
はじめまして、春間といいます。 春に間と書いて「しゅんま」と読みます。 会社員の男性です。 自分の言葉で、私が生きるこの素敵な世界を表現していきます。よろしくお願いします。 はじめた理由はじめた理由は特にありません。 強いて理由を挙げるのであれば、知人などの目を気にせず、言の葉を綴りたいとおもったからでしょうか。 心持ちnoteに投稿していくにあたり、自由に自分らしく気持ちを、感情を、表現していきたいです。 私は正直、noteを通じて私のことを理解してほしいわけでもな