音楽が人生そのものだった中学時代と、hideの死【わたしのゴールデン】
NO MUSIC, NO LIFE!
なんて言えるほど音楽にドップリの人生ではないけれど、とはいえ音楽の近くで生きてきているほうだと思う。
そんな私が一番音楽と共にあったのは、まぎれもなく中学生の頃だ。
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時は1990年代後半。
たぶん、1990年代と言えば、CDが一番売れていた時期じゃなかろうか。
中二病をこじらせやすい多感な時期の私たちには、J-POPの隆盛はもはや人生そのものだった。
誇張でなく、それぞれにみんな推しがいた気がする。
私は当時GLAYに心酔していて、その時期に発売されたCDは全部持っていたし、シングル曲はもちろん、アルバム曲もすべて歌詞を覚えていた。
あの時期特徴的だったのは、それぞれに推しがいつつも、みんなその時期の音楽業界全体を愛していたことかと思う。
GLAY担当の私も、家族が寝静まった夜中にカウントダウンTVに張り付いて、J-POP全般の動向を追いかけていたものだ。
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この頃の記憶は、総じて懐かしく温かくなんだかちょっと甘酸っぱいものばかりなのだけれど、ひとつ、忘れられない辛い出来事がある。
1998年5月2日、hideの死。
hideは、かのX JAPANのギタリストだった。
X JAPANは私にとって硬派すぎて追えていなかったのだが、X解散後、スタジオをぴょんぴょん跳ねるピンク頭の彼に夢中になるのは、あっという間のことだった。
だったのに。
中学3年の春、塾から帰りいつものように深夜の歌番組にチャンネルを合わせようとして訃報を知った私は、その場に崩れ落ちた。
死の真相について諸説浮上したり、周辺の噂話が飛び交ったり、なんだかいろいろあったことは何となく覚えている。
けれど誰が何を言おうと考えようと、彼がこの世からいなくなってしまったことは事実で、それは何をどうしても変えられない。
遺された者にできるのは、ただ彼の音楽を愛し続けることだけだと思った。
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このnoteを書くにあたって、久しぶりにhideを追いかけるきっかけになったあの曲を検索した。
全然色褪せないなあ。かっこいい。
私の音楽黄金期の、大切な1曲。
亡くなったときのhideの年齢は33歳だったそうだ。
意識したこともなかったが、いつの間にか私は彼よりも年を重ねていた。
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「書くンジャーズ」の今週のテーマは、【わたしのゴールデン】。
火曜担当みねの【わたしのゴールデン】は、私の音楽黄金期の中学時代の思い出でした。
話は少し脱線しますが…
5月4日は、ちょうど1年前に最愛の夫がくも膜下出血で生死のはざまにいた日。
誰が生き、誰が逝くか、それは誰にもわからない。
だからこそ、かけがえのない1日1日を慈しんでいこうと思いを新たにしました。
▼夫の闘病記、今月こそ続きを進めるぞ。
メンバーの皆さんの【わたしのゴールデン】、いったい何を連想されるのでしょうか…楽しみです。
日刊「書くンジャーズ」マガジンから、ぜひチェックしてみてくださいね^^
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